象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

日夏耿之介『美の遍路』


『黒衣聖母』の詩人の処女作は意外にも戯曲で、男を漁って一夜の歓楽を尽したのち、翌朝には殺して古井戸に投げ込む残酷なお姫様を主人公にしている。舞台は江戸時代の吉田御守殿で、天樹院尼公の性癖や科白がワイルドのサロメを彷彿させるところに妙味がある。

耿之介は若いころからサロメに熱中し、最晩年にいたるまで訳文に手を入れていたというから、一生をサロメに憑かれて過ごしたようなものだ。そういう彼が、処女作にこういうものを書いているのは、ある意味でじつに首尾一貫しているといえる。

「わたしの胸が快楽の泉なら、そちの胸はそれを吸ふ快楽の海綿ぢや。わたしの泉を吸つて吸つて吸ひ採りつくすことが出来たなら、そちの生命が天命を数へつくす限りわたしはそちと一緒に生きもし死にもしませう。……さア、その男らしい、力強い小腕でこの女子を抱きよせておくれ」(『美の遍路』)

「ほんに、そちは、この、わが身をばよう睜てはくれなんだ。わたしを能う睜てくれたなら、可愛(イトシ)う思うてくれた筈ぢや。……今でも、約翰よ、そちを可愛う思うてをる。そちだけを可愛う思うてをるのぢや」(『サロメ』)


     * * *


さて、話は変るが、岩波文庫に新訳の『マラルメ詩集』が加わり、鈴木信太郎の『マラルメ詩集』が絶版になってしまったのは、時代の趨勢ということもあるが、私にはじつに痛恨の極みである。そこに収められていた玉石混淆の訳詩のうちでも、至宝とも称すべき奇蹟の訳詩「エロディヤード」が読めなくなってしまったのは、惜しみても余りあることだった。

日夏の『美の遍路』と『院曲サロメ』、そしてマラルメの『エロディヤード』、これらはサロメをめぐる変奏曲というだけでなく、魔性の女性による古風な科白回しのおもしろさを堪能させてくれるという意味でも貴重なものなのである。

ジェラール・ド・ネルヴァルのこと


私が最初に読んだフランス語の本は、ネルヴァルの『オーレリア』だった。どうしてそれを選んだかというと、尊敬する某氏が「まったく雲をつかむような、理解不能の書」というふうに紹介していたからで、そういうものなら、初心者にはかえって好都合なのではないか、読んだけどわかりませんでした、という弁解(?)があらかじめ成り立つような本のほうが、初心者には向いているのではないか、と思ったのである。

さて、本(どこにでもあった、いわゆるポッシュ版)を買って読み始めたが、たしかに内容がつかみにくいということはあったものの、そのフランス語の平明さ、明晰さは、私にはむしろ驚きだった。そこには変な癖や気取りはまったく感じられず、あくまでも自己の心の動きや描く対象に忠実な、素朴で嫌味のない文章があるばかりだった。ネルヴァルは、初心者だった私を、血の通ったフランス語に最初に触れさせてくれた大恩人なのである。

ところが、ポッシュ版の二冊(『オーレリア』と『火の娘たち』)にざっと目を通しただけで、いつしかネルヴァルとは疎遠になっていった。途中で中村真一郎の訳をいくつか読んだことを除いては、ほぼ完全に縁が切れたまま、何十年かが過ぎた。くだんの二冊も、いつのまにか手元からなくなっていた。

最近になって象徴派の参考書をいくつか読むうちに、ネルヴァルが大きく取り上げられているのに気がついた。彼は象徴主義に無自覚なままに、その作品によって最高の象徴主義に到達している、というのが大方の意見のようだ。私もこれにまったく異論はない。

と、ここまで書いてとりあえずアップする。あとでいろいろ書き足すつもり。

アーサー・シモンズ『象徴主義の文学運動』


1899年に初版の出た本書は、1913年(大正2年)に岩野泡鳴によって訳されて、非常な反響を巻き起したらしい。こんにちから見ればおそろしく読みにくい訳だが、この本のいったい何がそれほどまで当時の人々を動かしのか。

泡鳴訳を読み続けるのは苦痛なので、冨山房百科文庫の一冊(前川祐一訳)を読んでみた。こっちはすばらしく読みやすい。まあ、読みやすすぎて引っかかるところがないので、かえって上滑りになってしまう場合もある。一行一行がずっしりと重い、というわけにはいかないのだ。

憶測すれば、泡鳴訳を読んだ人々は、読みにくい、わかりにくい文章をにらみながら、「これは何をいわんとしているのか?」としばし首をひねったに違いない。そして、そこからめいめい自分なりの解釈を引き出していったのではないか。その解釈が肯綮に中っているかどうかはその際どうでもよくて、さまざまな人々の勝手な解釈から、日本独自の象徴主義が育っていったと考えるのは、たぶん間違っていない。

さて本書だが、やはりというべきか、シモンズにとっても象徴主義の体現者は狭義の象徴派ではなく、それを準備した人々、もしくは先駆者のほうに偏っている。採り上げられているのは、ネルヴァル、リラダンランボーヴェルレーヌ、ラフォルグ、マラルメユイスマンスメーテルランクという、おなじみのめんめんで、その意味ではあまり新味はない。

こういう、銘々伝のかたちで文化史を語るやり方は、おそらくウォルター・ペイターの『ルネサンス』に倣ったものと思われる。じっさい、その叙述のスタイルにも、ペイターの影響は歴然としている。もっとも、英国の象徴派の世代で、ペイターの影響を免れている人はほとんどいないと思われるが。

あとひとり、シモンズと肌合いを同じくする人として念頭に浮ぶのは、『仮面の書』の著者のレミ・ド・グールモンだ。そして、このペイター、シモンズ、グールモンの系譜の延長線上に、わが上田敏が位置している、というのが私の見立てなのだが、はたして当っているかどうか。


ステファン・マラルメ「白鳥のソネット」

けがれなく 健やかにして うるはしき けふのよき日よ
わがために 酔ひし翼の ひと打ちに 砕かばくだけ
ひと知らで かたく凍りし みづうみに 霧氷降りしき
遁れざる 羽がきのあとの 透き見ゆる その氷をぞ

いにしへの 白鳥なりし おのが身の けざやかなれど
望みなく 身を放たむと 羽がきしを 思ひ出づれば
そは冬の 憂ひにひそむ かがやきを わが世の春と
こころえで 住める都を 歌はざる ゆゑにもあるか

首ふりて 白き悩みを 払はむと すれども詮なや
そがために 鳥に課されし 天空を 忌むる身なれば
されど否 羽毛をけがす 土くれの 恐怖(クフ)にはあらじ

おのが身の 浄きひかりに いざなはれ 生(ア)れし物の怪
やうも無き 流謫のはてに 身につきし あざみごころの
冷かなる 夢にふけりつ 身じろがぬ 一羽の白鳥



Sonnet du Cygne par Stéphane Mallarmé


Le vierge, le vivace et le bel aujourd'hui
Va-t-il nous déchirer avec un coup d'aile ivre
Ce lac dur oublié que hante sous le givre
Le transparent glacier des vols qui n'ont pas fui !

Un cygne d'autrefois se souvient que c'est lui
Magnifique mais qui sans espoir se délivre
Pour n'avoir pas chanté la région où vivre
Quand du stérile hiver a resplendi l'ennui.

Tout son col secouera cette blanche agonie
Par l'espace infligée à l'oiseau qui le nie,
Mais non l'horreur du sol où le plumage est pris.

Fantôme qu'à ce lieu son pur éclat assigne,
Il s'immobilise au songe froid de mépris
Que vêt parmi l'exil inutile le Cygne.

J. G. ハネカー『エゴイストたち』(萩原貞二郎訳)


訳者の解説によれば、ハネカーという人はアメリカ人で、若くしてパリに渡り、当時のヨーロッパの文芸や音楽を深く学んだ。帰国後はその体験を活かして、評論を書きまくったらしい。しかし、生前の名声とは裏腹に、死後は急速に忘れられた。私が今回、この翻訳書を手に取ったのも、アメリカにおける象徴派の谺として、かろうじて文献の端っこに引っかかっていたのを拾ったのだった。

本書では、広義の象徴派として、ボードレールと、ユイスマンスと、ヴィリエ・ド・リラダンが取り上げられている。ハネカーの筆によって、われわれは象徴派の時代の少し前、それを準備した第二帝政から第三共和政時代のパリを散策することになるのだが、正直いって、新味はあまりなかった。まあ、ボードレールとヴィリエとは、日本でもよく知られていて、翻訳もたくさん出ているから、新味がないのは仕方ない。ユイスマンスについては、私はよく知らなかったのでおもしろく読めたが、これもバルディックの評伝の邦訳が出ている現在、ユイスマンスの愛好家には物足らなく映るのではないか。

ハネカーはユイスマンスの文章を評して「完璧な散文」と折り紙をつけた。この世に完璧な散文なんて、そうそうあるものではない。そしてそれは意外にも、彼の小説の中にではなく、美術批評の中に見出せるという。とにもかくにも『ある人々』(美術論集)だけは読んでおけ、というのが、本書から私が受け取った最大の示唆だ。


James Gibbons Huneker