象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

宇佐美斉『象徴主義の光と影』


関西の研究者たちによる共同研究(1997年、ミネルヴァ書房)。21篇の論文が並んでいるが、私の関心に触れてくるものはほとんどない。というのも、ここで取り上げられている画家や文学者は、象徴派プロパーではなく、その周りを固めている守護神のような人々ばかりなのだ。もっとも、象徴主義の歴史においては、狭義の象徴派よりも、援護射撃に回っている守護神たちのほうが偉いのは確かだ。本書の3ページにも、狭義の象徴派について、「そのごく少数を除いてはもはや今日では再読に耐えないほどの群小詩人ばかりであった」と書かれている。

私としては、その群小詩人たちの右往左往に関心があるんだが……

というわけで、本書はみごとなまでに「象徴派」不在の象徴主義研究書になっている。私が本書から得たものはといえば、ゾラに『夢』と題された小説があって、おもしろそうなことと、フェリックス・フェネオンという人物が象徴派の運動においてけっこうな働きをしたことくらいのものだ。

ここで明らかになるのは、1997年の時点においても、象徴主義に真に関心をもっているフランス文学研究者はほとんどいなかった、という事実である。今ではその数はもっと減っているに違いない。

まあそれはそれでいい。私はといえば、「今日では再読に耐えないほどの群小詩人」たちの墓守になって余生を過ごすつもりだ。


象徴派の時代とは


ネットで見られる論文に、次のようなのがある。

日本における象徴主義の概念

これは私には非常に興味深く読めたが、とりわけ最後の「日本に象徴主義は存在したのか」という一節がすばらしい。著者はここで、日本に真に象徴主義的な詩作品が現れたのは、大正に入ってからのことで、その代表的な作者としては山村暮鳥日夏耿之介大手拓次萩原朔太郎宮沢賢治などを数えることができる、と語っているが、これは私が漠然と考えていた日本象徴派のあり方にかなり明確な形を与えてくれるものだ。象徴主義という、どっちかといえば女性的な文学運動が、明治という「ますらをぶり」が幅を利かせていた時代よりも、大正という軟弱な時代のほうに似つかわしいことは、だれでもうすうす感じていることだと思うが、その考えを強力に後押ししてくれる論文に出会えたのは幸いだった。

明治時代を象徴派の準備期、大正時代をその円熟期と捉えてみれば、上にあげた大正期の詩人に立ち混じって活動しているその他もろもろの詩人たちの動向にもそれなりの意味を見出すことができる。いや、詩人だけでなく、小説家も含めた文人と、それから画家や音楽家などの芸術家、そういう人々が織りなすさまざまな運動、つまるところ芸術方面から眺めた大正時代そのものが、広義の象徴派の時代として、われわれの視野に入ってくるのだ。象徴主義の舞台としての大正時代。この観方は私には非常に好ましく思われる。その全域を踏破するのはむつかしいとしても、主だったところは押さえておきたい。

というわけで、明治時代は白秋、露風あたりでひとまず打ち止めにしたいが、その前にいくつか片づけておかねばならないことが残っている。上田敏永井荷風の訳詩の問題がそれだ。しかし、よく考えてみれば、そのあたりのことはさんざん論じつくされているので、いまさら私がなにか付け加えることがあるとも思えない。そこは素通りしてしまってもよさそうだ。素通りすることにしよう。

中島洋一『象徴詩の研究──白秋・露風を中心として──』


昭和57年に桜楓社から出たもの。象徴詩の愛好家にはおもしろく読まれるかと思いきや、なかなかもって取り扱いのむつかしい本ではある。というのも、白秋と露風の詩集すべてについて象徴性(著者のもちいる用語で、要するにサンボリスムのこと)をまんべんなくあげつらってあるので、記述が単調、散漫になりがちで、白秋のここが、露風のここが象徴詩人として偉いんだ、という手応えのようなものが得られない。白秋、露風の全面的な愛好家でないと、本書の真骨頂は味わえないだろう。

私はといえば、白秋、露風ともに、それほど好きな詩人ではなく、アンソロジーで何篇か読めればいい、と考えているような人間だから、本書の読者としては失格だ。ただ、この本から何も得られなかったかといえば、そんなことはないと思う。いちばんの教訓は、自分が好きでない詩人や作家について、研究書を読んだところで、まったく意味はないということを思い知らされたことだ。

まずテクストを精読して、好きか嫌いかを判断すること。そしてそのうえで、好きな場合にかぎり、研究書に手を出すこと。これを今後は心掛けることにしよう。

北原白秋と三木露風


わが国の象徴詩の歴史においては、有明の次にくるのが白秋と露風だ。このふたりは並び称せられ、いわゆる白露時代を打ち樹てた。

私はだいぶ前に露風の四冊の詩集*1にざっと目をとおし、小ぎれいにまとまってはいるが中身のない詩だな、という感想をもった。で、今回、白秋の代表作『邪宗門』を通読して意外に思ったのは、白秋という人が、私の期待していたほど卓れた詩人ではないという事実だった。露風よりもさらに私には遠い詩人だ。

白秋は、私の印象では、詩壇の耆宿的存在で、白秋といえば居住いを正さねばならず、白秋門下といえば無条件で畏敬の対象となる、というような感じをもっていた。しかし、『邪宗門』を読んだかぎりでいえば、近代詩人としてそれほど高い位置にいるわけでもないことがわかる。いろんな意味で中途半端なのだ。

露風の詩が、外形ばかり整って内からこみあげてくる圧力が感じられないのとうらはらに、白秋は内からの圧力がつよすぎて、外形の秩序を破っている。下世話にいえば、身も蓋もない、というのが白秋の詩の与える印象だ。巻頭の詩「邪宗門秘曲」だけは例外的にすばらしいが、あれを超える詩篇がひとつとして巻中に見えないのである。

彼の第二詩集『思い出』はまだぱらぱらと眺めただけだが、この時期にはもう象徴詩としての外形を取り繕おうという気持が完全になくなっているのがわかる。ひたすら自分の資質に忠実に、内心の情緒をぶちまけたようなところがあって、それはそれで興味はあるが、詩的に高いものではないし、私の目下の興味からも外れている。

いずれにせよ、今回白秋を読んだことで、逆説的に露風のよさが分るようになってきた。日夏耿之介が『明治大正詩史』で的確に述べているように、白秋の象徴詩には発展の余地はないが、露風の象徴詩のほうは、それ自体は挫折したとはいえ、真摯なる後進のためには有益な道を示唆していたのである。

というわけで、象徴詩という観点から眺めれば、白秋対露風の対決は、露風に軍配が上がりそうだ。

*1:『廃園』『寂しき曙』『白き手の猟人』『幻の田園』

マアテルリンク『モンナ・ヴァンナ』


山内義雄の古い訳で読む(新潮社版)。「解説」によれば、この芝居が日本で上演されたのは明治39年すなわち1906年のことで、原作が出てからまだ4年しか経っておらず、まさに同時代現象だったことがわかる。おそらくめんどくさい部分は端折って、筋書のみ前面に押し出したものだと思われるが、世界の動向をいちはやく捉える感度のよさには一驚を喫する。

早いといえば、日本では梗概博士といわれた森鴎外が、原作刊行の翌年(明治35年)にすでにその梗概を書いている。それがまた鴎外一流の要を得たもので、いやになるくらい勘所を押さえている。

さて、この劇を一言でいえば、「嘘も方便」になるだろうか。まあ、それだけのことならわざわざ劇を見るまでもないが、ここでは象徴主義はすっかり影をひそめている。かつての曖昧模糊とした雰囲気から完全に脱却した、いわば大人になったメーテルリンクの姿が窺われる。

劇としてはおもしろいし、力作であることも認めるが、象徴主義のかけらもないメーテルリンクには、残念ながらあまり同情は致しかねる、というのが正直なところだ。私が象徴主義に惹かれるのは、そこに永遠の子供らしさが認められるからでもあるのだ。

もっとも、女主人公の行状から、ユーディットやルクレチアへの言及というか、ほのめかしがあり、またプリンツィヴァッレとヴァンナの双方に外傷や流血がみられるのは、やはりここにもサロメの系譜が延びて行っているようなところもあって、かろうじて「世紀末」の残滓だけは窺うことができる。


モンナ・ヴァンナに扮したジョルジェット・ルブラン(メーテルリンク夫人)