象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

生田耕作と象徴主義


生田耕作といえば世間ではシュルレアリスムの研究者として知られている。たしかに彼の訳したブルトンの「第一宣言」はすばらしい。まるでブルトンの霊が生田に憑依して筆記させたかのようだ。しかし私が本当に生田をすごいと思ったのは、『ヴァテック』に寄せたマラルメの序文を読んだときだった。難解無比のマラルメの文章が、じつに明晰な日本語になっているのである。

この調子でマラルメの詩も訳してくれていたら、と思うが、彼には象徴派詩人のまとまった訳詩集はないようだ。しいていえばピエール・ルイスの『ビリティスの唄』くらいだろうか。

彼の訳詩のサンプルとして、ジョイス・マンスールの『叫び』から十篇訳出されたもののうちの一篇を引いてみよう。


そそり立つ二個の岩間に
毀たれた一人の女が生きている
矢車菊の散らばる土に
片足は根をおろしている
夜と夢の獣たちが
失われた歌の調べで彼女を養う
其処で 彼女は待っているのだ 空が消え
永遠を解き放つのを


ジョイス・マンスールシュルレアリスム詩人ということになっているが、この作品などは象徴詩といってもいいだろう。


     * * *


生田はグループに属さないシュルレアリストを目指したということだが、シュルレアリストであり続けることはなかなかむつかしい。というのも、シュルレアリスムの重要な要素として、反抗ということがあるからで、若いころなら知らず、年を取るとともにそういう姿勢を取り続けることがだんだんとむつかしくなるのだ。あらゆる事象に「ノン」を叩きつけるといえば聞こえはいいけれども、いい年をした大人がそういつまでも青臭いことをいっていられるものだろうか。

というわけで、シュルレアリスムから反抗的要素を取り除いていくと、だんだんと象徴主義に近づくのである。もともとシュルレアリスム象徴主義ダダイズムとの鬼子とされているから、ダダ的な要素を稀薄にしていくと、象徴主義の成分が濃くなってくるのは理の当然だ。晩年の生田はシュルレアリストであることを辞めて、もしくはカッコに入れて、象徴派になり下ったのではないか、と思うのだがどうだろう。


     * * *


彼の詩に対する態度はあまり明確ではないが、晩年に漢詩への関心を深めたことと、木水彌三郎と親しく交わってその詩集を刊行していることなどから推して、象徴詩の世界に遊ぶことも罕ではなかったと思いたい。木水彌三郎についてはまた改めて記事を書いてみようと思う。

詩はさておき彼の愛した画家たちを眺めてみると、まずフランツ・フォン・バイロスがあげられる。バイロスは1866年に生れているので、世代的にはまさに象徴派に属している。そしてその画風は、あまりに猥褻色が強いけれども、その露骨なところを割り引いてみれば、意外に象徴派風のたたずまいを残している。

次にフェリシアン・ロップス。この画家はむしろ後の象徴派や頽唐派を準備した先駆者的な存在だが、やはり露骨なところや皮肉なところがあって、風俗画のほうに向いていそうな画風である。生田はおそらくその悪魔主義的なところに惹かれたものと思われる。バルベー・ドールヴィリーの世界とパラレルなものが彼の絵にはあるのだ。

次に『サロメ』の挿絵で名高いアラステアがいる。ちょうどビアズリーとバイロスとの中間にあたるような画風で、同時代のフーゴー・シュタイナー・プラークなどとも共通する、書物のための絵に特化したような画家だ。

その流れに棹差すのが、シュルレアリスムの傍系に属する挿絵画家たち、すなわちハンス・ベルメールアンドレ・マッソン、レオノール・フィニーといっためんめんだが、ピカソに近いマッソンはさて措くとして、ベルメールとフィニーは存外象徴派と親和性が高い。ベルメールの愛する「少女たちの楽園」というテーマは象徴派が得意としたところだし、フィニーには象徴派の詩人たちに寄せた挿絵本がいくつかある。

そして最後に、これが決定的ではないかと思うのだが、フェルナン・クノップフへの傾倒がある。クノップフについてはテレビでの紹介をもとにした小冊子(『クノップフの世紀』)が出ていて、彼の象徴派に対する考え方がよくわかる。これを見ると、彼の象徴派理解というものは、たぶんに気分的なもので、厳密な理論に裏付けされたものではなさそうだ。

ここでおもしろいのは、クノップフの絵画の象徴的意味を理解するうえで、エリファス・レヴィの『高等魔術』がたいへん役に立つ、と述べていることだ。「おそらくクノップフも『高等魔術』を精読し、そこから大きな影響を受けたことは間違いありません」とまで書いているのだが、ほんとうだろうか。どうも眉唾物だが、レヴィの著作とクノップフの芸術との関連を探るという意図をもって、もう一度『高等魔術』を読み直してみるのもいいだろう。

パイプについて

最近本格的にパイプ喫煙を復活させてみたが、なるほどこれは老人ならではの趣味だな、と思った。というのも、まずパイプというのは若い者には絵的に似合わない。それにパイプ喫煙特有のゆるさは、若者の求めるガツンとくる刺戟からは程遠い。またコレクション的な楽しみ方ができるというのも老年向きだろう。

というわけで、われわれ老人はシガレットなど見向きもせずにパイプに就くべきなのだが、どうもあまり流行っているという感じもしない。なによりもまず、パイプを扱っている店がどんどん減っていく一方なのだ。私の若いころは、近所の商店街にもパイプやシガーを扱う専門店があった。「よしとみ」という名前の、夫婦でやっている小さい店で、私はここで初めてパイプを買い、吸い方も教えてもらったのだった。

もっとも、一方ではネットにおける情報の充実には驚くべきものがある。そして品揃えもまたネットでの通販という形で以前とは比べ物にならないくらい選択の幅も広くなった。

ところで、今回パイプ喫煙を復活させた直接のきっかけは、昔の映画をいくつも見るうちに、俳優が優雅にパイプを燻らせている場面を目にして、自分でもやってみたくなったのである。ことに「ハックルベリー・フィンの冒険」のなかでハック少年がポケットにいつもパイプをしのばせているのが私には印象的だった。



映画でもわかるように、1930年代の欧米ではまだまだパイプが幅を利かせていた。その前の、いわゆる両大戦間の時代、その前のベルエポック、さらにその前の象徴派や新象徴派の世代にももちろんパイプ愛好者はいた。しかし、パイプを扱った詩文のたぐいはけっして多くはない。逆にいえば、ことさら詩文のネタに採り上げる必要がないくらい、それは一般的、大衆的な楽しみだったのだろう。

パイプの詩ということでよく引かれるのがボードレールの「パイプ」だが、これはちょっとした座興のような詩であって、たいしたものではない。それよりもむしろマラルメ散文詩を見てみよう。原文はめんどくさいが、翻訳でならすぐに読める。

まず作者は、ふとパイプを見付け出したとたんに、「紙巻(シガレット)はたちまちに、日向の青い木の葉、軽羅の衣が、光を与えている過去の中に、真夏の子供らしいあらゆる喜びもろ共に、投げ棄てられた」と書いている。ここでひとつのポイントとして、シガレットを蔑視してパイプを尊重する姿勢を指摘することができる。

次に注目すべきは、「一心に仕事に没入するため、気持が紊されずに長く煙草を吸おうという至極真面目な心掛けの男だ」という一文である。ここで作者は長時間にわたる喫煙を称讃しているのである。

その次に注目すべきは、「一息深く吸うが早いか」という一節だ。これはつまるところ、マラルメがパイプを口腔ではなく肺で喫煙していたことを物語る。肺による長時間の喫煙──これがいかなる結果をもたらすか。後年マラルメが烈しい息切れと咽頭痙攣の発作によって56歳を一期として逝ったのは、このことと無縁であったかどうか。

さて、詩の続きだが、このあと話はパイプからまったく離れてしまい、あたかもプルーストにおけるプチットマドレーヌ体験のごとく、作者が前年に渡っていたロンドンでの思い出があれこれと書き連ねてある。

つまるところ、マラルメの「パイプ」という散文詩は、むしろ「ロンドンの思い出」とでも題された方がよかったような作品であり、われわれパイプ党(!)にはあまりありがたいものではないのだ。

マラルメと比べれば、わが国における偉大なるパイプ党の一人である由良君美のパイプ礼賛のほうがはるかに熱がこもっている。

「パイプとわたし」と題されたエッセイがそれだが、ここでもやはりマラルメと同じく、シガレットに対するパイプの優位が説かれている。どうもパイプ党というのは、シガレット党を見下す権利とともに義務をも負っているのではないか、そんな気がする。

由良はパイプの吸い方について、「肺の呼吸をとめ、腹のリズムにたよりながら」と書いている。「腹のリズム」というのはよくわからないが、少なくとも彼が肺喫煙をしていないことだけは明らかだ。とはいうものの、彼は続けて「ボウルの底まで、残りなく灰に化する法悦と抑制と忍耐」について語っている。最後のひとかけらに至るまで、煙草葉を燃やしつくす──これがどういう結果をもたらすか。彼の死因はどうやら喉頭癌のようなのだ。

いずれにせよ、パイプによる長距離走と完全燃焼とを称揚する由良のエッセイは、その熱度においてマラルメをはるかに凌駕する。『言語文化のフロンティア』という本に収められているから、興味のある方はどうぞ。

ふたつの『イット』

アール・デコ文学双書」の第二回配本『イット』(エリナ・グリン 松本恵子訳)を読む。「イット」の持主である男女(男は無一文から身を起こした実業家、女は没落貴族の令嬢)の恋愛をめぐる心理的駆け引きを中心にした物語。風俗はいちおう1920年代のそれだが、これといった事件が起らないのと、ジョン・ガントが嫌味な人物なので、作品としては地味な感じになっている。初版は1927年とのこと。

さて、この作品は同年に映画化されているが、クララ・ボウ主演のその映画を見ると、小説とはまったく違っている。男が実業家なのはいっしょだが、彼には「イット」はない。いっぽうの女のほうは労働者階級の売子で、彼女の発散する強烈な「イット」が映画全体を引っ張っていく仕掛になっている。



筋は映画のほうが波乱万丈で、小説よりもずっとおもしろい。主役のベティ・ルー(クララ・ボウ)をはじめ登場人物がすべてコミカルで、見る喜びをたっぷりと味わわせてくれる。そしてこの映画にはエリナ・グリンその人までもがスペシャルゲストで出演しているのだ。最後のシーンで、「イット」を持たない人々のことを、IT-less 略して ITS と呼んでいるのもおもしろかった。

しいて小説のほうの肩をもてば、こちらはその設定から一種の階級闘争、性的闘争の相貌を帯びている。そして、こういった古くてしかも普遍的なテーマが、この小説を19世紀的、世紀末的なものに近しくしているのだ。ここにはイプセンの「人形の家」やストリンドベリの「令嬢ジュリー」、さらにはボードレールの「決闘」にまで遡りうる男女両性間のアンタゴニズムが見て取れる。「イット」の持主同士のカップルには、どうもあまり楽しい未来は展けていないようなのだ。

最後に、「アール・デコ文学双書」について書いておけば、この『イット』が出たきりで頓挫してしまったらしい。予告にはいろいろとおもしろそうな題名が並んでいるだけに残念だ。ただ、おもしろそうな、というのは一種の罠であって、たぶんじっさいに読んでみると、そんなにおもしろくはないだろう、という予感がある。この手の本は、おもしろいかどうかよりも、雰囲気を楽しめるかどうかのほうが大切なのだ。そのことを承知のうえなら、探求の手を延ばしてみるのもいいだろう。、

ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』


音楽における象徴主義というのはどうも捉えどころがない。他のジャンルであれば、たとえば文学ならマラルメ、美術ならクノップフ、というように、なんとなく象徴主義の代表のようなものが思う浮ぶけれども、音楽となるとなかなかこれというのがない。いや、ひとつだけある。これこそは音楽における象徴主義の金字塔と呼べるような作品が、ただひとつだけあるのだ。

それはいうまでもなくドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』だが、この作品について諸家が述べているものを読んでみても、私を完全に納得させるようなものはこれまでなかった。いや、それよりもまずこのオペラそのものが、どうも私には納得のいかないものとして、目の前に立ちはだかっている。私の理解と愛好とを阻むものが、この作品にはあるのだ。

この状態を打開すべく、メーテルリンクの戯曲と、音楽之友社の名曲解説ライブラリーとを参照しながら、このオペラを精聴(?)してみることにした。盤は長年親しんできたクリュイタンスのもの。



そこでまず気づいたのは、私の鑑賞のしかたが根本的に誤っていたことだ。私は音楽というものは漠然と聞き流しているうちにその真髄がおのずから感得されるものだという思い込みがあって、それは必ずしもまちがっているわけではないが、しかしそういう聴き方をしていたのではいつまでたっても妙味がわからない種類の楽曲がある。このペレアスなどはその典型だろう。いや、ペレアスだけでなく、ワーグナー以降のオペラには多少ともその傾向がある。この手の音楽に対しては下準備と知識とが不可欠なのである。

そのようにして聴いてみると、この作品にはドビュッシーが他の作品で使っているさまざまな楽想があちこちに散りばめられているのがわかってくる。そしてそれらの楽想が、矛盾対立を止揚したうえで、ドビュッシーの世界観をひとつの巨大な作品としてパノラマのように展開しているのが見えてくる。それは絵でいえばギュスターヴ・モローの未完の大作『キマイラ』を彷彿させるもので、しかもその全体を統べているのは、ビザンチン風とでもいうしかない、ある静謐の印象なのである。



作中におけるゴローの嫉妬と憤怒、またペレアスの純朴と優柔不断、メリザンドの諦念と絶望、そういった人間的な情念のあれやこれやも、劇の表層に浮び出た仮象にすぎない。その背後には絶対的な「無」が深々とした闇を広げている。そういう一種の無常観をあらわしたものとして、これはやはり異色のオペラであり、象徴主義的風土以外のところでは生れえなかった珍品であろうというのが私の今回得た印象だ。

いくつか気になった点をあげておけば、まずドビュッシーもその扱いに苦労したという老王アルケル。この人物はすでに世俗の王を超えて宗教者の域に達している。彼の歌唱がお経に似ているのは偶然ではないのである。それからゴローの息子のイニョルドだが、私は彼に道化(クラウン)の面影を見たい。イニョルドはいつも場を活気づけるとともに、そのあり方が一種の郷愁をもたらすところの、両義的存在なのだ。山口昌男なら私の意見に賛成してくれるだろう。

最後に、上に言及した音楽之友社の本だが、私を新たな見方(聴き方)へと導いてくれたペレアスの項の執筆者は平島正郎氏であった。かつて愛読した氏の『ドビュッシー』(「大音楽家/人と作品」)、それに太田黒元雄が1932年に第一書房から出した『ドビュッシー』、この二冊を久しぶりに読み直してみて、若かったころの感興をふたたび味わった。

あと蛇足を付け加えておくと、ドビュッシー愛好家がぜったいに手を出してはいけない本が二冊ある。それはほかならぬドビュッシー自身が書いた本(『ドビュッシー音楽論集』として岩波文庫から出ている)と、青柳いづみこさんの『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』とである。私はこの二冊を読んで、ドビュッシーに対する関心を急速に失ってしまった。そして二度と元の状態に戻ることはなかったことを思うと、ずいぶんその罪は重いわけだ。

アニタ・ルース『殿方は金髪がお好き』


象徴派の時代に続くのがアール・ヌーヴォーで、それの発展形としてアール・デコというものが考えられ、同時にその中心地はヨーロッパからアメリカへ移る。その後のアメリカ文化はジャズからポップカルチャーへと進むことになるだろう。

いっぽうヨーロッパではアール・ヌーヴォーからの分離というかたちでダダイズムが出て、それの発展形がシュルレアリスムとなり、やがて実存主義構造主義へと進んでゆく。

私はダダイズムからシュルレアリスム方向へと展開する流れにはあまり関心をもっていない。それらはむしろロマン派への逆行のように思える。端的にいえば、ダダイズムにしろシュルレアリスムにしろ、主役はつねに男性なのだ。

いっぽう、あくまでも主役を女性に置いているのがアール・ヌーヴォーアール・デコで、その点に私は象徴派の正統的な後継者としての資格を認めたいと思うのである。

さて、そのアール・デコの時代に出た小説を集めてシリーズ化しようとしたものに「アール・デコ文学双書」がある。神戸の奢灞都館が企画したもので、その意気込みのほどは当時のパンフレットからも窺えるが、やはりその時代錯誤ぶりはいかんともしがたく、二冊出しただけで杜絶した。

その第一回配本はアニタ・ルースの『殿方は金髪がお好き』で、第二回配本のエリナ・グリン『イット』とともに、この双書が映画とも関連したものだったことを物語っている。残念ながら前者のフィルムは今日残っておらず、スチルからその面影を窺うほかないが、なかなか魅力的な映画のようだ。



さてその原作を秦豊吉の訳で読んでみたが、あに図らんや、小説としては考えうる限り最低ランクの出来なのである。よくまあこんなものが、と思うが、刊行者の言葉には、「最近ではめったに見られなくなった瀟洒な味わいの都会文学」とか、「華やかな大都会風俗絵巻。この上なく軽薄、しかも巧まずして深奥。流行衣装をまとった<ハイカラ>モラリスト文学」とか書いてある。いくら売るための宣伝とはいえ、これはちょっと褒めすぎではないか。

というわけで、もう一度はじめからぽつぽつ読み直していると、ふと気がついたことがある。つまり、これをふつうの小説として読んではダメだということ。そうではなくて、アール・デコの精神の、ひとつの末梢的現れとして、あくまでも当時のあれやこれやの一部をなすものとして眺めること。つまり時代精神フェノメノンと化したアニタ・ルースという女性をメインにおいて、その才女がものしたクロニクルとして本書を読むこと、また当時の日本におけるモガ・モボの文化を同時代的に経験している秦豊吉の訳文を通じてその雰囲気を味わうこと、そういったトータルな読み方を本書は要求するのだ。

イポリット・テーヌのいわゆる人種、時代、環境の三つ巴のなかに置いたときにはじめて真価を発揮するという点で、やはりこの小説は象徴主義的風土と無縁ではないと感じるのである。