象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

象徴派のおもしろさ


私が象徴主義をおもしろく思うのは、それがフランス国内にとどまらずにあちこち伝播した点にある。前にちょっとふれたロシアはいわずもがな、われわれの住む極東の島国にまで、何人かのすぐれた紹介者をまって、この運動は伝わってきた。そして、この地にたしかな痕跡を残していった。

詩の象徴主義が、ほぼ同時代的に各地に広まったのは、おそらく文字という、伝達しやすいものを媒介としていたからだろう。しかし、絵や音楽になると、文字ほどたやすくは広まらない。日本における西洋音楽や、西洋美術の受容がどのように行われたか、私はつまびらかにしないが、おそらくそれは当時の支配的なイデオロギーに根差した、かなり一面的なものであったに違いない。そして、そういう流れのなかで、はたして日本に固有の象徴主義が成立する余地があったかどうか。

これはちょっと探求してみるだけの価値はある。少なくとも、ラファエル前派やモロー、それにベックリンあたりは明治の終りごろには日本にも紹介されていた。それと、象徴派といえるかどうか微妙だが、当時のグラフィック界を支配したビアズリー様式。ああいうものに触発された日本の画家がいてもおかしくない。

音楽については、なにしろ日本古来の音曲がまだ幅をきかせていた時代なので、ドビュッシーラヴェルの影響を受け入れるだけの準備は整っていなかったかもしれない。しかし、意外なところで意外な人が、そういったものを消化して、独自のものを作っていた可能性もないわけではない。

というわけで、明治大正期の本邦における芸術諸分野の象徴主義についても、今後は気にして行きたい。

いずれにしても、象徴主義のおもしろさは、それが完全に外国のものというわけでなく、たとえ稚拙なものであっても、日本にもその一派の作品が生み出されたところにある。国産の象徴派の作品に、異国の香りを感じ、また異国の作品のなかに、日本の伝統的な美学の谺をききとるのも、一種のコレスポンダンスといえるのではないか。そしてそれが、世紀転換期という限定された時期に、同時代現象として起ってきたというところに、無限のものを前にした畏怖ではなく、有限のものを前にした気安さをおぼえるのである。