カルロス・シュヴァーベ
私が最初に象徴派の絵を知ったのは、高校のころ買ったボードレールの対訳詩集の表紙においてだ。ペンギン版のその本に使われていた絵は、じつに衝撃的だった。この一枚で、Carlos Schwabe という画家の名前は、私の記憶に深く刻みつけられたのである。
たしかそれは1970年代の終りごろで、その数年後、1982年から1983年にかけて、「ベルギー象徴派展」というのが日本にきた。これも私には画期的な企画展だった。そのときの図録が手元にあるが、それを見ると、カルロス・シュヴァーベの作品は含まれていない。それもそのはずで、彼はベルギー人ではなくスイス人なのだ。しかし、彼の手掛けた、第一回の「薔薇十字展」のポスターなどを見るかぎり、ベルギー象徴派との親和性は高そうだ。
その次に私が見た彼の作品は、1988年に出た岩波文庫の『ペレアスとメリザンド』の中の挿絵だった。それには「挿絵 = CARLOS SCHWAB」とあって、シュヴァーベは自分の名前を Schwabe, Schwab と、二通りに書いていたことがわかる。
その岩波文庫の挿絵だが、どうもシャープさに欠けるのは、これがもともと線描ではなく、彩色された絵だったからで、ネットではそのうちのいくつかがカラーで見られる。オリジナルの本そのものは、おそろしく高い。
世紀末に出た戯曲の挿絵で、おそらくいちばん名高いのは、ワイルドの『サロメ』のために描かれたビアズリーのものだろう。これはもう完全にビアズリーがワイルドを食ってしまっている。明らかにやりすぎだが、シュヴァーベの挿絵はその反対で、むしろ原作に寄り添うように、つつましやかな佇まいを保っている。
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シュヴァーベに関する論稿のたぐいは、ネットも含めてきわめて少ない。これはおそらく、彼がいっとき薔薇十字展その他で華々しく活躍したとしても、20世紀に入ってからは、おもに挿絵画家として、絵画の本流から外れてしまったためではないかと思われる。芸術家をやめて職人になった画家に対して、世間は冷たい。かれらは美術史とはかけ離れた、愛書家の世界で、ごく一部のマニアの関心をそそるだけの地位に甘んじるほかないのだ。
彼の絵を集めて解説を付した、いわゆる画集もあることはあるが、高くて今すぐにはちょっと手が出ない。しかし、いずれは手に入れることになるだろう。そのとき、もしかしたら、ふたたびこの画家について、もうちょっとましなことが書けるかもしれない。
最後に、彼の作品をまとめて見られるサイトがあったので、それを下に紹介しておこう。