象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

ポール・ヴェルレーヌ「憔悴」


広義の頽唐派は象徴派を含む。そしてこの頽唐、デカダンという言葉は、もとは貶下的なものだった。世人は「この唾棄すべきデカダン奴が」という意味合いでこの言葉を使った。しかし、使われたほう、すなわちデカダンたちは、いっこうに痛痒を感じなかったらしい。なによりも御大であるマラルメヴェルレーヌが、デカダンという言葉を偏愛したのは周知のとおり。

マラルメ散文詩「秋の嘆き」でラテン末期のデカダンスを讃美した。いっぽうヴェルレーヌは、エルネスト・レイノーとの対話で、「真紅と金色とを眩くも反射するデカダンス(廃頽)という言葉を、私は好む」と言い、その神髄を列挙したあとで、「それが、私に諸君の知っておられる小曲を創作させた感情である」と述べている。

この小曲は、「憔悴」と題されたソネットで、その冒頭だけは盛んに引用されるが、全体を訳したものは、少なくともネット上には見えないようだ。すぐれた詩だとはまったく思わないが、歴史的には重要な作品だと思うので、ここに和訳をあげておく。誤訳や誤読は間違いなくあるので、下に原文も添えておく。


     * * *


私は頽廃の末期の「帝国」、
偉大なる白い「野蛮人」どもが行き交い、
太陽の憔悴が舞う黄金の文体で
だらけた折句を作るのを眺めている。

孤独な魂は濃密な倦怠に胸をわるくする。
あっちでは血みどろの長期戦をやっているらしい。
遅すぎる誓いに萎えた身なれば、ああ、できもしないし、
したくもない、今のありように一花咲かそうなどとは。

ちょっとでも死ぬなんてことは、したくもなければできもしない。
ああ、しこたま飲んだ。バチルよ、笑うのはもうやめか。
しこたま飲んだよ、平らげた。もう何にも言うことはない。

ただ、ちょいと馬鹿げた詩を火にくべて、
ただ、ちょいと女好きの恋の奴が諸君をなおざりにして、
ただ、いわれのない倦怠が諸君を悩ませるだけのことさ。



'LANGUEUR' de PAUL VERLAINE

Je suis l'Empire à la fin de la décadence,
Qui regarde passer les grands Barbares blancs
En composant des acrostiches indolents
D'un style d'or où la langueur du soleil danse.

L'âme seulette a mal au coeur d'un ennui dense.
Là-bas on dit qu'il est de longs combats sanglants.
O n'y pouvoir, étant si faible aux voeux si lents,
O n'y vouloir fleurir un peu cette existence !

O n'y vouloir, ô n'y pouvoir mourir un peu !
Ah ! tout est bu ! Bathylle, as-tu fini de rire ?
Ah ! tout est bu, tout est mangé ! Plus rien à dire!

Seul, un poème un peu niais qu'on jette au feu,
Seul, un esclave un peu coureur qui vous néglige,
Seul, un ennui d'on ne sait quoi qui vous afflige !