象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

マラルメの新訳と旧訳、つけたり戯訳


岩波文庫の新しいマラルメ詩集。すごい労作だとは思うし、これを出した岩波書店はさすがというべきだが、どうもこれを読んでいると、自分は今までマラルメを過大評価していたのでは? という気になってくる。

それはともかくとして、トルストイの芸術論以来、マラルメ後期のソネットではいちばん有名な「泡」の新訳を下に引用する。


圧し懸かる 密雲の下 声押し殺したる
玄武岩 溶岩の 暗礁には はや
隷属の 木霊を返す 力とてなく
用もなき 霧笛の 虚しい声さえも

いかようなる 墓 遭難が (お前は
知りつつも 水泡よ そこに泡立ち)
至高なる 唯一の 漂流物のなかに
廃絶したのか 帆布も失せた マストを

それともこうか 猛り狂って 何か
崇高なる 遭難が ないからと
深淵の限りを 虚しく 押し広げては

かくも白い髪の毛の 水泡引く
容赦もない そこに 溺れさせたのか
人魚の一人 その 幼い腹を

渡辺守章訳)


これを読んで思い出したのは、マラルメ翻訳のうちでも初期も初期、大正2年に岩野泡鳴が出した同じ詩の翻訳である。このようなもの。


痛ましき 裸形 もて、汝、
黒大理 溶岩 を 出で、
角笛 に 奴僕の 樹魂、
徳 なくて ただ 響き のみ。

空洞の 破船 かや (汝、
泡よ、そを 知れど 泡立つ)
最果の 一破滅物、
抜かれたる 帆柱 を 去る。

あるは、これ、憤怒の 落ち度、
いや高き ほろびの 影の
空しく や 淵と なりけん。

曳く髪 の 白きが 中に、
飽く までも 溺れ行きけん、
海妖の 胎内 の 児は。

(岩野泡鳴訳)


解釈は異なるものの、調子という点では両者はよく似ていないだろうか。紆余曲折を経て、マラルメの訳詩は百年前に回帰したということか、それとも岩野泡鳴に先見の明がありすぎたのだろうか?



     * * *


あとおまけだが、このマラルメソネットは、だいぶ前に、エロ的見地から解釈したものを、ポルノグラフィック版と銘打って、某所にアップしたことがある。あまりのバカバカしさに、その後削除したが、いまごろになってそれを思い出して、削除したことをちょっと後悔した。

まあ、なくなったものはしかたがないので、もう一度訳しなおしてみた。昔の訳のほうが、いっそう piquant だったように思うが、あまり下品なことはもう書きたくないので、やんわりとぼかした部分もある。

参考までに原文をあげておく。そう無茶な解釈はしていないと思うが、どうか。


À la nue accablante tu
Basse de basalte et de laves
À même les échos esclaves
Par une trompe sans vertu

Quel sépulcral naufrage (tu
Le sais, écume, mais y baves)
Suprême une entre les épaves
Abolit le mât dévêtu

Ou cela que furibond faute
De quelque perdition haute
Tout l'abîme vain éployé

Dans le si blanc cheveu qui traîne
Avarement aura noyé
Le flanc enfant d'une sirène


のしかかってくる裸の女に、一言も応えない
あなたの下半身は玄武岩か溶岩でできているの?
その隷属下の反応にすら応えない、
その力なくだらりと垂れ下ったお道具ではね。

どんな墓場じみた不能のうちに(あなたも
そのことは知っている、泡みたいなものしか吐き出せない)
がらくたのなかでもいちばんのしろもの、
むきだしの棹を捨て去ってしまうの?

それとも、その程度のものしか
失うものがないことに激怒して
無駄に押し広げられた虚無の深みが、

まっしろなざんばら髪のうちに
人魚の子供のような脇腹を
ねちねちと浸すとでもいうの?