象徴派と白樺派
武者小路実篤の『お目出たき人』を読んでいたら、ドイツの画家の名前がいくつか出てきた。
Ludwig von Hofmann
Max Klinger
Otto Greiner
Fidus
かれらはいずれもドイツ象徴派に属するらしい。私はこれまでドイツの象徴主義についてはあまり考えたことがなかったが、そういったものが「白樺」派の活動になんらかの影響を及ぼした可能性はたしかにある。
ドイツ象徴派を特徴づける用語として、「分離派」なるものがある。いわく、ミュンヘン分離派、ウィーン分離派、ベルリン分離派。この分離派、セセッションという言葉は、芥川の作品にも散見し、大正時代の装飾的な工芸にちょっとした彩を添えたものらしい。
分離派のうち、いちばん有名なのはウィーンのそれだろう。なんといっても、あのクリムトを擁していたのだから。しかし、主流を敬遠する私には、むしろミュンヘンやベルリンのそれのほうが魅力的だ。そしてそういったものに同時代的な関心を示した白樺派が、急速に私の興味の対象になりつつある。
象徴派と白樺派には、表立ってはいないが、ある種の接点がある。それを自分なりに究明したい。その接点に身を置いたとき、はたしてどんな光景が見えてくるだろうか。