象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

アーサー・シモンズ『象徴主義の文学運動』


1899年に初版の出た本書は、1913年(大正2年)に岩野泡鳴によって訳されて、非常な反響を巻き起したらしい。こんにちから見ればおそろしく読みにくい訳だが、この本のいったい何がそれほどまで当時の人々を動かしのか。

泡鳴訳を読み続けるのは苦痛なので、冨山房百科文庫の一冊(前川祐一訳)を読んでみた。こっちはすばらしく読みやすい。まあ、読みやすすぎて引っかかるところがないので、かえって上滑りになってしまう場合もある。一行一行がずっしりと重い、というわけにはいかないのだ。

憶測すれば、泡鳴訳を読んだ人々は、読みにくい、わかりにくい文章をにらみながら、「これは何をいわんとしているのか?」としばし首をひねったに違いない。そして、そこからめいめい自分なりの解釈を引き出していったのではないか。その解釈が肯綮に中っているかどうかはその際どうでもよくて、さまざまな人々の勝手な解釈から、日本独自の象徴主義が育っていったと考えるのは、たぶん間違っていない。

さて本書だが、やはりというべきか、シモンズにとっても象徴主義の体現者は狭義の象徴派ではなく、それを準備した人々、もしくは先駆者のほうに偏っている。採り上げられているのは、ネルヴァル、リラダンランボーヴェルレーヌ、ラフォルグ、マラルメユイスマンスメーテルランクという、おなじみのめんめんで、その意味ではあまり新味はない。

こういう、銘々伝のかたちで文化史を語るやり方は、おそらくウォルター・ペイターの『ルネサンス』に倣ったものと思われる。じっさい、その叙述のスタイルにも、ペイターの影響は歴然としている。もっとも、英国の象徴派の世代で、ペイターの影響を免れている人はほとんどいないと思われるが。

あとひとり、シモンズと肌合いを同じくする人として念頭に浮ぶのは、『仮面の書』の著者のレミ・ド・グールモンだ。そして、このペイター、シモンズ、グールモンの系譜の延長線上に、わが上田敏が位置している、というのが私の見立てなのだが、はたして当っているかどうか。