象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

フローベールの「ヘロヂアス」


サロメの系譜といった内容の本は何冊かあるようで、いずれまとめて読んでみたいが、サロメを扱った文学作品のうち、わりあい早い時期に出たもので、逸することのできないのがフローベールの「ヘロヂアス」だ。この恐るべき物語を、フローベールはいったいどうやって着想し、作品として書き上げたのか? それはいまもって私には謎なのだが、それはそれで置いておこう。

この物語には、厳密にいって主人公といえる人物はいない。サロメでさえ主役ではない。しいていえば、歴史そのものが主役を務めているのだ。そして、その歴史はといえば、生きて動いている現実の歴史ではなく、冷たく凍りついて、不動の様相を呈した、美術作品のような歴史だということができる。

歴史といえば、激動という言葉がすぐに思い浮ぶが、フローベールの小説に描き出された歴史は、時間の経過というものがまるでなく、鏡のなかに映し出された光景のようにひっそりと静まり返っている。

このふしぎな静謐の印象が、フローベールを世紀末の芸術家に近づけているのだが、そのなかにあって、サロメの描写だけは奇妙に生き生きとしていて、そこにだけ生命のほとばしりが感じられる。これはフローベールが東邦へ旅をしたときに見たアフリカの舞姫の踊りをもとにして描かれたことと無関係ではないだろう。逆立ちをして踊るサロメは、ほとんどビザールといってもいいほど、倒錯的な美しさに満ちている。

「ヘロヂアス」は、のちにラフォルグが「サロメ」を書いたときの粉本でもある。この二つをじっくりと読み比べてみれば、世紀末におけるサロメの変貌が、ひいては高踏派から象徴派への展開が、よりいっそうはっきりと見えてくるかもしれない。