象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

『詞華集』


国書刊行会から出た「フランス世紀末文学叢書」の一冊。1985年の刊行だが、以後類書が出ていないので、愛好家にとってはいまだに珍重すべき書物となっている。

本書を手に取って、そうか、もうあれから35年にもなるのか、と思う。この本が出たころは、世はいわゆる世紀末ブームであり、それ関連の本や企画がいろいろと出たものだ。もちろんそれらは二十一世紀に入るとともに沈静化し、やがて忘れ去られ、いまではその片鱗ですら坊間には見出せなくなった。

まあそういっても、私の頭のなかでは世紀末はいまだに現在進行形であり、いっこうにやむ気配はない。たぶん死ぬまで世紀末とは縁が切れないままだろう。

さて、上田敏の『海潮音』以来、何冊あるかわからない近代詩のアンソロジーの、最新式のものが本書だ。じっさいに手に入れるまでは、どうせたいしたものであるまいと高をくくっていたが、現物を見るに及んで、自分のうかつさを恥じた。選ばれている詩篇も、訳文も、なかなかのものだと思う。訳文は、横のものを縦にしただけの、そっけないものだが、これがいいのですよ。柳村式の、装飾過剰なスタイルはいまどき時花らない。むしろそっけないくらいの直訳体のほうが、原詩の趣を正しく伝えてくれる。

とはいっても、このアンソロジーの全体から、なんらかの特色ある芳香のようなものが立ち上るかといえば、否。残念ながら、ここからは断片の集積という以上のものは見出せない。もちろん、そんなものは私としても期待していないので、個々の詩篇を娯しむにはそのほうがむしろ好都合だ。本書の特色は、「中心の喪失」という言葉で言い表すことができるだろう。つまり、ここには核となる詩や詩人は不在であり、御三家といわれるマラルメヴェルレーヌランボーでさえも、ここではロンドに加わる「その他もろもろ」の一人にすぎない。

この選集は、1971年にフランスで出たベルナール・デルヴァイユの『象徴派詩』におおむね依拠していると巻末の解説に書いてある。このデルヴァイユの本の存在を知っただけでも、本書を買った甲斐はあった。