象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

阿藤伯海「哀薔薇」


哀薔薇

        林壑久已蕪石道生薔薇


夢に薔薇(サウビ)の癉(ヤ)めるをみたり。

鳥去りて東林白く
澗(タニ)の底、仄かに明けゆけど
夜夜の狭霧に、薔薇は癉みぬ。

木立草立繇(シゲ)れる阿丘(オカ)に
幽かなる径(ミチ)、
径尽きて壑(タニ)も嘿(モダ)せり。
壑の八十陬(ヤソグマ)逗(モ)る光、
風囘(メグ)りて紓(ユルヤ)かに
黝(クロ)く揺げる林の景(カゲ)。
藻草は舞ひて
淪漪(サザナミ)に文(アヤ)を成せど、
澗の水面(ミナモ)に、飛ぶ
青岩魚(アヲイハナ)も見えず。
唯聞くは遠き斧の音(ネ)
その韻(ヒビキ)、丁丁(タウタウ)
古曲の如く
壑を度(ワタ)りて長く揺蕩(タユタ)ふ。

曦(ヒ)も暹(ノボ)りて
熒(カガヤ)くは、叢葉(ムラハ)草びら、
巌陰の黄薔薇(クワウサウビ)
夢に匂へど、力なく
靭(ナヨ)かに顫ふ葩(ハナビラ)に
蒼き吐息を瀉(モラ)したり。

葩に瀉す吐息は、
空に嚮(ムカ)ふ噴水(フキアゲ)の悲歎(ナゲキ)か、
月に咽ぶ夜の調か、将(ハタ)
面羸(オモヤ)せし白衣(ビヤクエ)の聖女(ヒト)の
微かなる祈祷(イノリ)か。

夢に薔薇の癉めるをみたり。

天(ソラ)霽れて雲白く
壑の曲(クマ)、閒(シヅ)かに休(ヤスラ)へど
夜夜の狭霧に、薔薇は癉みぬ。

洞穴めきし山峽(ヤマガヒ)や、
匂へる嫩葉(ワカバ)
しづもる斑葉(イサハ)、
曦は音なく溜(シタタ)りて
松脂の馨もほのか。
澗の辺、幽草(クサ)生(オ)ひ
深樹(フカキ)稠(シゲ)りて、苔碧く
石畳む径を鑰(トザ)せど、
亭午(マヒル)どき
聴かずや、喬(タカ)く山鳥
嚶嚶(アウアウ)として鳴く声を、
こは友生(トモダチ)を嘑(ヨ)ぶなるか。

嵐をふくむ夕映の
垠(キハミ)なき空の濬(フカミ)に
雲沈み、鳥は潜みて
森の奥陳(フ)りし斧の音も絶ゆ。
小暗き闇の夜の門(カド)
薔薇の花に、はためきつつ
輪の如く蛾は廻れり。

霄(ソラ)邃(フカ)し、月蒼し、
巌陰に懊む薔薇は
軽羅(ウスギヌ)の翅(ハネ)うちふるふ
蛾の歎嗟(ナゲカヒ)を察(シ)らず、
また知らず、天明(アケガタ)
壑を襲ふ狂飈(アラシ)を。
あはれ薔薇は癉みぬ。

鬱邑の花よ、
愛執の花よ、
戦慄(オノノ)きてかくは悩める。
げに、忘我の魂は
盲(メシヒ)となり壑を巡りて祷れるを、
雨ふらん、霧ふらん、嵐ふかん禍津時(マガツドキ)に。


幻想の詩人ノヴァーリスが青き花尋めしそのかみの嗟歎をこの小詩に托しぬ。かのブレイクが愁薔薇の象徴を摸したるに非ず。将、グウールモンが薔薇賦の頌声に仿ひたるにも非ず。


     * * *


出典:昭和6年春陽堂刊『明治大正文学全集』第36巻、pp.530 - 532

この詩は、清岡卓行の『詩礼伝家』に全体の3分の2ほどが紹介されているが、誤記もあるので、改めて原本から写してみた。ごらんのように、高踏派のスタイルで書かれた象徴詩である。見慣れない漢字の使用に必然性はあるのか、という疑問が出ると思うが、私はこういう詩の場合、奇妙な漢字表記にも必然性があると考える。

「薔薇は癉みぬ」と書くのと、「薔薇は病みぬ」と書くのとでは、意味は同じでも、ニュアンスに大きな違いが出るのだ。そして、象徴詩においてニュアンスがいかに大切かは、ヴェルレーヌ以来、多くの論者が口をすっぱくして説いている。

同様に、この詩では薔薇は「ばら」ではなく、「さうび(そうび)」と読まれなければならない。

この詩を読んだとき、なんとなく思い浮んだのは、ベルギーの詩人レルベルグの書いた RAYONNEMENTS という詩だ。内容が、ではなくて雰囲気が似ているように思う。いずれにせよ、伯海の創作詩(ほとんどが漢詩)の原点に象徴詩があるのは確かだし、私が彼を日本象徴派へ引きずり込もうとするのにもそれなりの理由のあることが分ってもらえるだろう。