象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

大岡昇平『ルイズ・ブルックスと「ルル」』


1984年に出た大判の本(中央公論社)。ブルックス大岡昇平との取り合せはちょっと奇異の感を与えるが、彼は学生のころ京都で『パンドラの箱』を見て、ブルックスの魅力に参ってしまったらしい。それが昭和5年(1930年)のことで、それからほぼ半世紀後の1975年に山口昌男が雑誌の論稿でブルックスとルルを取り上げたのが、戦後におけるブルックス復活の嚆矢だったとのこと。今日からすれば意外な気もするが、ルイズ・ブルックスはそのころまで日本ではほとんどだれも注目せず、まったく忘れ去られた存在だったらしい。

もっともそれは日本だけの事情ではなく、世界的にもそうだったらしい。そんななかで、1970年ごろからじょじょに復活の動きがあって、そういう潮流の日本におけるモニュメンタルなあらわれが、この大岡昇平の本だった。

さて本書だが、資料的な記述に埋め尽くされて、意外と著者の肉声が聞こえてこない憾みがある。彼がブルックスにそれほど惹かれた、その根本的なところがまったく語られておらず、自分で彼女の魅力を数え上げるかわりに、内外の文献を引用してごまかしているようなところがある。著者のインテリとしての誇りから、あまり赤裸々に自己の内面を吐露することを憚ったのだろうか。個人的なオマージュを脱したところに客観的なブルックス像を打ち立てたい、というのが著者の本意だったのかもしれないが、あまり成功しているようにはみえない。

資料的な面では、1984年(すでに40年近い昔だ)までのものに限られるが、魅力的なものも少なくないので、以下に抜粋しておこう。


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大岡昇平の論稿ふたつ。「海」1984年1月号、3月号(本書のもとになったもの)

大岡昇平『少年』にてルイズ・ブルックス(以下LBと略記)に再三言及。

1983年、仏文『LBによるLB』(原著は1974年の『ハリウッドのルル』)

同年、仏文『あるアンチスターの肖像』(初版1977年)

1977年、俳優座『ルル』上演。栗原小巻主演。台本は岩淵達治(岩波文庫版の原型)

ヴェデキントのテクスト、「世界戯曲全集」第16巻(昭和5年)伏字多し

大正11年(1922年)、研究座「地霊」上演。(花柳はるみ主演)

パプストの映画『パンドラの箱』日本での封切、京都で昭和5年2月13日、東京で2月20日

昭和5年6月21日-24日、築地小劇場にて蝙蝠座による「ルル子」(パプストの翻案)上演。主演は17歳の三宅艶子

三宅艶子の回想「別冊 婦人公論」1980年秋号

山口昌男朝日新聞」1975年12月8日、LB小論

山口昌男「新劇」1977年9月の論文→『道化の宇宙』(1980年)に収録

諸井誠、篠田一士 往復書簡 1982年、「音楽芸術」、のちに単行本『世紀末芸術と音楽』(1983年)

大江健三郎「波」1984年1月号 論文

アルバン・ベルクの「ルル」完全版、パリ、オペラ座(1977年)

パノフスキーパンドラの箱

ルルの霊感源のひとつ、Félicien Champsaur の Lulu (1888年)、パントマイム

1968年、アドルノの「アルバン・ベルク

ブルックス断髪、ブルックス刈り、鋭角断髪、わが国の少女挺身隊

LB復活はフランスから

1953年、アド・キルー『映画とシュルレアリスム

ロッテ・H・アイスナー(Eisner)、1952年、『悪魔の映写幕(Ecran Démoniaque)』(『カリガリからヒトラーまで』につづくすぐれた映画史論)

LBの文章、1956年「パプスト氏」、のち『ハリウッドのルル』に収録

LB「回想録を書かない理由」、平野京子訳「イメージフォーラム」1982年11月号

話の特集」1981年1月号、山田宏一、1頁のオマージュ

ジル・ドゥルーズ『シネマI』(1983年)

日本におけるLBのファン、四方田犬彦蓮見重彦筒井康隆。筒井は戦前の「キネマ旬報」を買い占めていた。