象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

パプスト『パンドラの箱』

1928年のサイレント映画。この一作で、ルイーズ・ブルックスは映画史上にその名をとどめることになる。



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じっさいのところ、この映画もまたそれなりに忠実に原作を追っているけれども、なんといってもヴェデキントの戯曲が、およそ劇的なおもしろみを欠いたもので、ただひとえに登場人物の異常さと、雰囲気の怪奇性のみ追い求めたようなところがあって、筋書きとしてはまれにみる凡作なのである。ただ、そのことだけをもってヴェデキントを凡庸な作家とみなすのは早計で、彼の作品が時代を映す鏡のようなものであるからこそ、「ルル」は世代を超えて読み継がれ、新たな作品として何度もよみがえってくるのだ。

パプストの映画は、ヴェデキントの劇のもつ下品さやいかがわしさを払拭したうえで、ルイーズ・ブルックスという適役を得て、原作とは別種のシックな趣を出すのに成功している。しかしながら、ここでは映画の魅力のほとんどがルイーズ・ブルックスに寄りかかっているので、映画を見たというよりは、生きて動いているルイーズ・ブルックスを見た、というほうが実情に近い。

もちろん好き嫌いはあるだろうが、この映画におけるルイーズ・ブルックスの突出ぶりには目覚ましいものがある。ここでは、筋書きも、演出も、他の登場人物も、すべてがブルックスを盛り立てるために存在している。つまり、ブルックス以外のすべてはたんなる口実、プレテクストにすぎないのだ。

山口昌男はこの映画を8回か9回見ているという。彼はパリの映画研究所かなにかで、特権的な状況においてかつてのサイレント作品を見まくっていて、それがまた自慢の種なのだが、こんにちでは動画サイトでそういうものはいくらでも見られるので、山口昌男的な視座にはもはやそれほど価値はなくなっているといえるだろう。

とはいうものの、山口の映画の見巧者ぶりには驚くべきものがあって、彼の映画評を集めた『スクリーンの中の文化英雄たち』という本には、そんな彼の魅力がいっぱいつまっている。いまの若い人にはどうだか分らないが、1995年ごろに新作を見るのをやめてしまった私のようなオールドファンには、かなりたまらない本になっている。