象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

矢野目源一と象徴主義


この一風変った文筆家は若年の私をひどく悩ました。なにしろその全貌がわからない。こちらから見えるのはその指先や爪先だけなのだ。どこか全集を出してくれる本屋はないものか、とひそかに思っていた。

ところが、吉行淳之介の「七変化の奇人」を読み、太宰治の「ヴィヨンの妻」を読むに及んで、憑き物が落ちるように、いっぺんに熱がさめてしまったのである。全集を夢想した私が愚かだった。そんなものは金輪際出っこないのだ。

そんな彼にも、若いころに出したまともな詩集が二冊ある。私はそれらをテクストファイルにして、ブログの形でネットに流したことがある。


一冊目の『光の処女』は大正9年1920年に出た。本書においては、個々の創作詩よりも、巻末に収められたマラルメの「牧神の午後」の翻訳が圧巻だ。これはのちに鈴木信太郎が改訳して、さらなる高みへ持ち上げたが、根本的なところはすでに矢野目の訳によって決定されている。これについては、このブログの最初のほうで取り上げたことがあるから、ここには書かない。

二冊目の『聖瑪利亜の騎士』は大正14年、1925年に出た。ここに収められた詩は、前の詩集のと比べると、なんとなく詩として風格が上ったようにみえるが、それはたぶん句読点を省いているからだろう。とはいうものの、詩の完成度という点でもやはり多少の進歩は見られるような気がする。

この二冊の詩集から、いちばん象徴詩風の特色が窺えると私が思うものを、それぞれ一篇づつあげておこう。どっちも秋を歌ったものになってしまったが、特に他意はない。


「秋の喪」

明るき朝のめざめに
鳥はさゞめく、
小さき歌のよろこびは
梢を揺る。

眼に見えぬ鐘の音(ネ)の空に滅びて、
落葉のみ森の小径に
寂しき磬をたたけど、
カンパニア、アッピウスの路のほとり、
若きユリアが眠れる姿に
凉しき秋の微笑(ホホエミ)は玻璃の柩に横はる。

日は瑪瑙、
うららかに空に燃え、
静かなる秋の葬は、
幻(カゲ)の憂愁(ウレヒ)に歩み入る。


「秋」

わがこゝろ つねに
彼方なる梢に住まひ
歳月(トキ)の流るゝを瞻(ミ)る

鴿のむれ ひるがへり ひるがへり
照日(テルヒ)のまへに身を鏤め
中空(ソラ)は 一抹(ヒトイロ)に
鏡に湛えたる風景の
寂しき光を
野にみなぎらす

あゝ 憶ふひとは遠く
涯(カギリ)なき秋に浴(ミヅアミ)して
不浄身 地に擲たば
銀(シロガネ)の煙とならむ