象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

映画漬けの一ヶ月


前回言及した、グラフィック連作の流れを汲む映画*1を少し見てみようと思って動画サイドを漁っていたら、意外にもおもしろいものがいっぱい出てきて、この12月は私にとって映画月間となった。こんな映画漬けの日々を送ったのは久しぶりのことだ。

以下に、この一ヶ月間に見た映画を年代順に並べてみる。


D・W・グリフィス「見えざる敵」(1912)

バスター・キートン「文化生活一週間」(1920)「キートンの強盗騒動」(1921)

エリッヒ・フォン・シュトロハイム「グリード」(1924)

トッド・ブラウニング「アンホーリー・スリー」(1925)「フリークス」(1932)「悪魔の人形」(1936)「帽子から飛び出した死」(1939)

パウル・レニ「笑ふ男」(1928)

ジャン・エプスタン「アッシャー家の末裔」(1928)

ルーベン・マムーリアンジキル博士とハイド氏」(1931)

アール・C・ケントン「獣人島」(1932)

ロバート・フローリー「モルグ街の殺人」(1932)「五本指の野獣」(1946)

ジェームズ・ホエール「魔の家」(1932)

ヴァン・ダイク二世「影なき男」(1934)「夕陽特急」(1936)「第三の影」(1939)「影なき男の影」(1941)

エドガー・G・ウルマー「黒猫」(1934)

スチュアート・ウォーカー「幻しの合唱」(1935)

カール・フロイント狂恋」(1935)

ルイ・フリードランダー「大鴉」(1935)

ジョン・H・オウア「早すぎた埋葬」(1935)

ローランド・V・リー「血に笑ふ男」(1937)

エリオット・ニュージェント「猫とカナリヤ」(1939)

ジョン・ブラーム「不死の怪物」(1942)「謎の下宿人」(1944)

アーサー・ルービン「オペラの怪人」(1943)

ジャック・ターナー「レオパルドマン」(1943)

リチャード・ソープ「風車の秘密」(1944)

ルイス・アレン「呪いの家」(1944)

ジョージ・シャーマン「美女と怪物」(1944)

アルベルト・カヴァルカンティほか「夢の中の恐怖」(1945)

ロバート・ワイズ「死体を売る男」(1945)

ジョセフ・L・マンキウィッツ「呪われた城」(1946)

エドワード・バゼル「影なき男の息子」(1947)

ピーター・ゴッドフリー「恐怖の叫び」(1947)「白いドレスの女」(1948)

アイヴァン・バーネット「アッシャー家の崩壊」(1948)

ノーマン・リー「猿の手」(1948)

アナトール・リトヴァク「蛇の穴」(1948)

ソロルド・ディキンソン「スペードの女王」(1949)

ジョセフ・ヘヴニー「奇妙な扉」(1951)

ヘンリー・コスター「謎の佳人レイチェル」(1952)

フェリーニの道化師」(1970)

フィンドレイ夫妻「スナッフ」(1976)

ヴェルナー・ヘルツォークノスフェラトゥ」(1979)

リンゼイ・アンダーソン八月の鯨」(1987)



合計49作品。リリアン・ギッシュに始まりリリアン・ギッシュに終っているが、これらのうち根幹をなすのは、コスミック出版から出ている4巻のDVDのセットで、それぞれ「恐怖と幻想の世界」「戦慄と夢幻の世界」「狂気と幻影の世界」「疑惑と迷宮の世界」と、ものものしい題名がついている。けっきょくのところ、象徴主義の棲息しやすい環境というのは、こういったホラーやミステリーの世界なので、大衆が相手の映画では、どうしてもゲテモノ趣味に陥らざるをえないのだ。

個々の作品について書いている余裕はないので、全体的な印象をいえば、まず女優が美しいこと。これはおそらくメイクの技術による。現代の映画ではまず見られないが、ヘルツォークの「ノスフェラトゥ」におけるイザベル・アジャーニのメイクは例外的によかった。まるでラファエル前派の絵から抜け出てきたような風情なのだ。

もちろん男優も負けてはいない。これもやはり当時の服装に負うところが大きいだろう。フロックコート、帽子、ステッキ、パイプなど、魅力的なアイテムがそろっている。

あと、建物の設備がおそろしく近代的なこと。当時の日本の家屋(昭和の初期から終戦までくらいの)と比べると、というか比べ物にならない。よくまあこんな国と戦争する気になったものだ、と思ってしまう。とてもじゃないが勝ち目はないのだ。

それと、映画のピトレスクな方面、つまり美術がどれもすばらしい。スタジオのセットという閉鎖的な空間が、映画のもつ象徴主義的な表現にうまく合っているのだ。戸外でのロケもいいが、やはり映画的な表現ということではスタジオに軍配があがるだろう。


     * * *


この手の古い映画を見るうえで参考になる本に、淀川長治蓮實重彦山田宏一の『映画千夜一夜』(中央公論社)がある。かつて持っていたがどこかへ行ってしまったので、古書で買いなおしてみた。今読むと、当時いかに表面だけ、かつ自分に関心のあることだけにしか目が行っていなかったかが痛感される。ちょっと見ただけではたんなる雑談の記録だが、じつは全篇にわたって魅力的なサジェスチョンに充ち満ちているのがこの本だ。

本書で言及されている古典的な作品は、当時(1988年)はまず目にする機会がなかったが、いまでは動画サイトで簡単に視聴できる。そういうのを見ながら、また本書に戻って三人の鼎談に耳を傾ける。こういう楽しみ方ができるのも現代に生きる幸福のひとつだろう。

最後に、フィルマークスについて。このレヴューサイトはすごくて、私が今回見た古い映画についても、いろんなひとがあれこれ書いている。それらのレヴューのどれもが肯綮に中っていて、読んでいてじつにおもしろい。見ているときには気づかなかったことや、関連情報なども満載で、世のなかにはとくに映画評論家という肩書はなくとも、すごい知識をもった愛好家はいっぱいいるんだな、と認識させてくれる。

*1:サイレント映画や初期のトーキー