象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

アニタ・ルース『殿方は金髪がお好き』


象徴派の時代に続くのがアール・ヌーヴォーで、それの発展形としてアール・デコというものが考えられ、同時にその中心地はヨーロッパからアメリカへ移る。その後のアメリカ文化はジャズからポップカルチャーへと進むことになるだろう。

いっぽうヨーロッパではアール・ヌーヴォーからの分離というかたちでダダイズムが出て、それの発展形がシュルレアリスムとなり、やがて実存主義構造主義へと進んでゆく。

私はダダイズムからシュルレアリスム方向へと展開する流れにはあまり関心をもっていない。それらはむしろロマン派への逆行のように思える。端的にいえば、ダダイズムにしろシュルレアリスムにしろ、主役はつねに男性なのだ。

いっぽう、あくまでも主役を女性に置いているのがアール・ヌーヴォーアール・デコで、その点に私は象徴派の正統的な後継者としての資格を認めたいと思うのである。

さて、そのアール・デコの時代に出た小説を集めてシリーズ化しようとしたものに「アール・デコ文学双書」がある。神戸の奢灞都館が企画したもので、その意気込みのほどは当時のパンフレットからも窺えるが、やはりその時代錯誤ぶりはいかんともしがたく、二冊出しただけで杜絶した。

その第一回配本はアニタ・ルースの『殿方は金髪がお好き』で、第二回配本のエリナ・グリン『イット』とともに、この双書が映画とも関連したものだったことを物語っている。残念ながら前者のフィルムは今日残っておらず、スチルからその面影を窺うほかないが、なかなか魅力的な映画のようだ。



さてその原作を秦豊吉の訳で読んでみたが、あに図らんや、小説としては考えうる限り最低ランクの出来なのである。よくまあこんなものが、と思うが、刊行者の言葉には、「最近ではめったに見られなくなった瀟洒な味わいの都会文学」とか、「華やかな大都会風俗絵巻。この上なく軽薄、しかも巧まずして深奥。流行衣装をまとった<ハイカラ>モラリスト文学」とか書いてある。いくら売るための宣伝とはいえ、これはちょっと褒めすぎではないか。

というわけで、もう一度はじめからぽつぽつ読み直していると、ふと気がついたことがある。つまり、これをふつうの小説として読んではダメだということ。そうではなくて、アール・デコの精神の、ひとつの末梢的現れとして、あくまでも当時のあれやこれやの一部をなすものとして眺めること。つまり時代精神フェノメノンと化したアニタ・ルースという女性をメインにおいて、その才女がものしたクロニクルとして本書を読むこと、また当時の日本におけるモガ・モボの文化を同時代的に経験している秦豊吉の訳文を通じてその雰囲気を味わうこと、そういったトータルな読み方を本書は要求するのだ。

イポリット・テーヌのいわゆる人種、時代、環境の三つ巴のなかに置いたときにはじめて真価を発揮するという点で、やはりこの小説は象徴主義的風土と無縁ではないと感じるのである。