葉巻と南国の匂い
パイプ、手巻きと進んできたら、次に手を出すべきは葉巻(シガー)だ。これまではその見た目や価格からあまり惹かれることのなかった葉巻だが、やはり喫煙者としてはこれも押さえておく必要があるだろう。
というわけで、フィリピン産のエクスプローラーと、キューバ産のコイーバクラブ10というのを試してみた。どちらもドライシガーといわれるもので、一本売りしている本格的なシガーではない。初心者としてはこのあたりから手を付けるのが常道だ。エクスプローラーは太くて長く、いかにも葉巻を吸ってますという感じは出るのだが、味のほうはじゃっかん黒煙草臭がするな、というくらいのもので、べつになんとも思わなかった。まあ、葉巻とはこんなものか、という漠然とした満足感が得られただけだ。
ところが、コイーバのクラブ10を吸ったときは驚いた。見た目は細くて短く、あまり葉巻然とはしていないのだが、その味わいときたら……
これもやはり黒煙草臭はする。しかしそこに南国風のテイストが加わっている。私はこれを吸って、たちまちボードレールの詩を思い出した。ひとつは「交感」、もうひとつは「異国的の薫」だ。それぞれ大手拓二の訳でその一部を引用すれば──
それは子供の肉のやうに溌溂たる匂ひである、
笛の音のやうにこころよく、牧場のやうにみどりである、
そして腐れたるもの、ゆたかに誇揚するものは、
琥珀や麝香、安息香や、薫香のやうな、
無限のもののひろがりを持つて、
霊と官能との感激を歌っている。
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みいられるやうなこの季節にあたり、お前のにほひにみちびかれて、
わたしは、ぼうつとした海の景色につかれはてながら、
帆と帆柱とにみちた港をみる。
そのときに、空気のなかにとびめぐり、はなの孔いつぱいになる
みどり色の羅望子(タマリニエ)のにほひが、
わたしの霊魂のなかで水夫の祈と入りみだれる。
拓二の訳詩はほんとうにすばらしくて、そこでは誤訳さえもが魅惑に変ってしまうほどだが、私がここで残念に思うのは、誤訳ではなくて誤植だ。せっかく彼がタマリニエ(タマリンド)の訳語に「羅望子」という正しい字をもってきているのに、全集でも岩波文庫でも「羅望女」となっている。
まあそれはそれとして、こういう南国的な感覚を喚起するものが、コイーバの葉巻にはあるのだ。そしてその香りに加えて「霊と官能との感激」を助長するのが多量のニコチンとタールなのである。葉巻を咥えただけで唇にひりひりとした刺戟を感じる。そしてタールは圧倒的な苦みとなって喉を刺戟する。
これは明らかに体にわるい。しかしそうと知りつつやめられない、致命的な魅力がある。
高い金を払って体にわるいものを買い、しかも燃やし尽くした後には何も残らない。これほどばかげたものが世の中にあるだろうか。
私はコイーバを吸って、やはり葉巻はタバコの女王なのだと確信した。たとえその女王が男に身を滅ぼさせるような悪女だとしても。