象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

パイプと葉巻


最近朝早く目がさめてしまう。だいたい睡眠時間は4時間半から5時間くらいだ。老人は朝が早いといわれるが、私もその口だろうか。まあそれだけならいいのだが、日中不意に眠くなるのが困りものだ。いまもひどい眠気がきて何をするのも億劫なので、ひとつ記事でも書いてみよう。ふしぎとものを書いていると眠気が止まるのである。

タイトルは「パイプと葉巻」にした。このブログの主旨に関係ない、喫煙に関することばかり書くのは気が引けるが、気に入らなければあとで削除すればいい。いまはとにかく睡魔を払いのけるのが目的だ。

ここ数週間、パイプと葉巻とを交互に吸ってきて、なんとなく両者の違いがわかるようになった。喫煙ということでは共通していても、パイプと葉巻とではかなり性質が違うのだ。

私のイメージでは、パイプは北方的、葉巻は南方的だ。パイプといえばどうしてもヨーロッパ、それも北の方の寒い国のイメージがある。暖炉わきの安楽椅子に腰かけて、ガウンかなにか羽織った老人が暗い部屋でパイプを燻らせている、というのが典型的なパイプ喫煙の風景だろう。

いっぽう葉巻は南国的な、明るい陽光の下で、がやがやした雰囲気とともに楽しまれているような感じをもつ。日本にもシガーバーというのがあって、葉巻と酒とを社交的に楽しむ場のようだ。明るい陽光の下というわけではないにしろ、そこにはいろんな意味で人間的なつながりが形成されているように思われる。社交の一部という点で葉巻は酒と共通するところがあるし、人と人とのあいだの距離を縮めるのに役立っているようなところがある。

いっぽう、パイプバーというのは聞いたことがないし、もしあったとしてもそれほど一般的ではないだろう。パイプ愛好家たちが何人もつるんでパイプを楽しんでいる、というのはちょっと想像しにくい図だ。パイプ党の人々は、党という言葉のもつ党派性から遠いところで、めいめい好き勝手にパイプを楽しんでるんだろう。けっきょくとのところ、心おきなくパイプを楽しむには、自宅という閉鎖的な空間が必須なのである。

それはひとつには、パイプというものに特有のめんどくささと、それに伴うある種の個人性に由来する。めんどくささというのは、パイプに煙草をつめる作業と、喫煙中に何度も行うタンピングだ。

古い映画などでは、俳優がパイプを燻らす場面がよく出てくる。その際どういう絵になるかといえば、おもむろに取り出したパイプをくわえてマッチで着火し、それだけであとはゆうゆうと煙を吐き出している。煙草の葉を詰める作業や、タンパーで押さえる所作が映し出されることはけっしてない。なぜならそういうものは映画の演出としては不要であり、たんにパイプを吸っている場面だけが出せればそれでいいからだ。

これを逆説的にいえば、煙草葉を詰めたりタンパーで押さえたりする作業は絵的におもしろくなく、あえていえばダサいのだ。私だってできれば刻みなんてざっくりと詰めたいし、タンピングもしたくはない。
しかしこういったダサい作業がパイプには不可欠なのだ。私はそんなダサい姿を他人に見られるのはあまり好ましくないし、また他人のそういう姿もあまり見たくはない。

そんなわけで、パイプのもつ根源的な喫煙法が、パイプ党の人々を互いに敬遠させるもとになっているのではないかと思う。徒党を組むのではなく、めいめいが単独で楽しむという点に、パイプの特徴があるので、これがパイプ喫煙の非社交性を助長しているように思われる。

だからいちばんいいのは、うちではパイプを、外では葉巻を吸うことだろう。おそらく私のライフスタイルは今後そうなっていくと思われるが、シガーバーというのもどうも気が引ける。だいたい酒と煙草とを同時に喫するというのは健康によろしくないのだ。やってみればわかるが、喉の状態がひどいことになる。若いもんならいざ知らず、老年に達した人間のやることではない。

それに外といっても今ではどこもかしこも禁煙で、落ち着いて煙草の吸える場所といえば、車の中か、会社のガレージくらいしかない。そして葉巻のきつい匂いを撒き散らしてまわりに迷惑をかけるのも本意ではないので、やっぱりここでも人のいないのを見計らっての孤独な喫煙になりそうだ。

携帯灰皿を手にして屋外で葉巻を吸う、というのも、どうも葉巻本来の南国性、開放性からほど遠いような気がするのだが、どうか。

まあ先のことはともかくとして、ここでいいたかったのは、パイプの閉鎖性と葉巻の社交性、そしてそれが喫煙者のライフスタイルにどういう影響を及ぼすか、ということへの、ささやかな問題提起にすぎない。どうでもいいといえばこれほどどうでもいいことはないし、これだけ禁煙の波が押し寄せている中にあっては、パイプ党もシガー党も少数派として肩身の狭い思いを余儀なくされるのは必定だ。私としてはそんな少数派のなかに我が身を滑り込ませたいと思う。スタンダールのいわゆる happy few として。

ここまで書いてきたら眠気が収まったので、推敲せずにこのままアップする。