象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

『上田敏全訳詩集』

この本は、『海潮音』と『牧羊神』、および雑誌に出ただけで単行本には収録されなかった拾遺篇からなる。本書を通読して思ったのは、やはり訳詩集としては『海潮音』のほうが『牧羊神』よりもすぐれていることと、拾遺篇にもすぐれたものが少なくないということ。結局のところ、どれをとってもすばらしい出来栄えを示しているのが彼の訳詩だ。


上田敏全訳詩集 (岩波文庫 緑 34-1)

上田敏全訳詩集 (岩波文庫 緑 34-1)

  • 作者:上田 敏
  • 発売日: 1962/12/16
  • メディア: 文庫


そのいっぽうで、ことに『海潮音』に収められた諸篇についてよくいわれるのは、原詩だとすんなり分るのに、訳詩のほうは広辞苑でも引かないととても読めない、という非難(?)である。まあ、見慣れない漢字や用語が出てくるのは確かだが、しかし彼の訳詩は広辞苑を引いたくらいではなかなか太刀打ちできないものも少なくない。私はそのことをアンリ・ド・レニエの諸篇においてもっとも痛切に感じた。

レニエの詩はこの前とりあげた荷風の『珊瑚集』にも何篇か訳されていて、それらはとくに読解において困難を感じなかった。しかし、敏のものはかなり様子が違う。このわかりにくさは、われわれが日本の古典、たとえば源氏物語などを読むときに感じるわかりにくさと同質なのである。

敏によるレニエの詩、「銘文(しるしぶみ)」を見てみよう。


「銘文(しるしぶみ)」


私はこれを何べん読んでも、いったい何がどうなっているのか、はっきりとはわからなかった。原文を見れば、なるほどそういうことかと腑に落ちるが、原文を見ずに、訳詩だけでポエジーを感じるのでなければ、『海潮音』が明治の詩壇にどのような影響を及ぼしたのか、正確なところはわからないのだ。

薄田泣菫などは、敏のこれらの訳詩から、その神髄を読み取って、自分の詩作に生かしている。それは私には驚くべきことに思われる。それはたとえてみれば、われわれにはピント外れに見える写真が、明治の人々にははっきり焦点の合ったものに見えた、ということなのだから。

このあたりの秘密は、どうも私には一生かけても理解できそうにない。もう諦めるしかなさそうだ。

参考までに、レニエのくだんの詩を、ざっと訳してみよう。


     * * *


森の小径の十字路へ、ある夕べ、
風に吹かれ、わが影を伴い、ある夕べ、
暖炉の灰にも歳月にも倦み疲れ、
宿業の禍福も定かならぬまま、
私は腰をおろしにやってきた。

小径はみな日々へと続いていた
私はなおも小径をたどることもできただろう、
どこまでも、
国々を、水路を、夢を追って、どこまでも
「死」がその忍耐強い魔法の手で
私の目を閉じて平安と黄金の花で封をしてくれる
その日まで。

高い楢の樹のしげる、孤独の小径よ、
おまえのごつごつした岩は疲れた身には厳しい、
おまえの硬い小石は草臥れた足にはつらい、
それにそこには私の過去の血が流れているのがみえる、
一足歩むごとに、
楢は居丈高に吹きすさぶ風に吼える、
私は気が滅入ってくる。

鮮やかな樺の樹が葉を落としてふるえている小径よ
そこを通る蒼ざめた通行人たちの恥辱のように蒼ざめた小径よ
通行人たちはおまえのねばつく泥濘に踏み込み、
ともに歩みながら
互いに顔をそむけあっている、
泥と、泌み出す水の小径よ、
風はおまえの木の葉に嘆きをささやく、
白銀の、月明りの、霧氷の大沼が
今宵、おまえの行く手に澱んでいる
そしてその道をたどるものの手を
「倦怠」がとらえる。

やさしい梣(トネリコ)の樹と軽い砂の小径よ
そこでは風が足跡を消し、また風が樹々の間を通り抜けるように
人々もそこを通りながら浮世を忘れ去るような道だ、
おまえの蜜の花々は砂の金の色をもち、
その道の曲折はそこに迷い込む人々の目をくらます。
小径の先には市街があり、そこは異邦人にはよいところだ、
歩いていってその市門をくぐるのは快いことだろう、
己の「希望」が泣きながら、死んだ「亡霊たち」の通夜をしているような、
そんなもうひとつの人生に私の歩みが滞っていなければの話だが。

私は楢の樹の小径は行くまい
樺の樹の小径も、梣の樹の小径もだ、
太陽の小径、市街の小径、水路の小径、
道という道はすべてだ。
血を滴らせた私の過去の足音がきこえる、
すでに死んだと思っていた足音が、どっこい生きて戻ってくる、
そして小径の谺のうちに私よりも先に進んでゆく、
ああ小径よ、
安易な道、恥辱の道、高慢の道よ、
私は聞く、
わが無益な人生の伴侶たる風が、
楢の樹の下を泣きながら吹きめぐるその音を。

ああ、わが魂よ、夕暮れは昨日の上に悲しい、
ああ、わが魂よ、夕暮れは明日の上に悲しい、
ああ、わが魂よ、夕暮れはおまえの上に重々しい。

ピエール=ルイ・マチウ『象徴派世代 1870 - 1910』

翻訳者としての窪田般弥の力量はかなりのものだと思うが、本書の訳はちょっと甘いし、索引などを見てもどうもあまり使い心地がよくない。絵画史的なことを除けば、読者が知りたいのは個々の作品の原題とその訳なので、本書のように原題を故意に(?)伏せてあるのは困るのだ。アンドレ・ブルトンを驚倒させたというモローの絵が何であるのか、本書を読むだけではよくわからず、ネットで調べてようやくそれが Fée aux griffons という作品だと判明する、というような場合が少なくないのである。

さて、この手の本を編む場合に問題になってくるのが、ゴーギャンを象徴派と見なすかどうか、という点だ。絵画史的にいえば、見なすかどうかどころでなく、ゴーギャンこそがフランスの正統的な象徴派の代表ということになる。なによりも、アルベール・オーリエの1891年の画期的論文「絵画における象徴主義」であげつらわれているのは、モローでもルドンでもピュヴィス・ド・シャヴァンヌでもなく、ゴーギャンその人なのである。

そこで、ポン=タヴァン派とかナビ派とかいわれる人々が象徴派の圏内に入ってくることになる。しかし、かれらははたして真正の象徴派だろうか。かれらと比べたとき、フランス以外の国々、たとえばベルギーやドイツ、ロシアや北欧の同時代の絵のほうに、より本来的な象徴主義が見出されるように思うのは、はたして私の僻目だろうか。

もし象徴主義が、本場であるフランスを差し置いて、その周辺的な国々でいっそう栄えたというのが事実だとすれば、それは象徴主義の非フランス性を物語るものだといえる。象徴主義はその本質においてフランス的ではないのだ。万物照応の理論にスウェーデンボリが影を落とし、音楽においてはワーグナーの決定的な影響を被り、先駆者として英国のラファエル前派を仰いだという点で、象徴主義はつねに北方的なものを志向していたのである。

北方的な要素をまったくもたず、逆に南国的なものを志向したゴーギャンが象徴派に見えないのは、やはりそれなりの理由があったとみなすべきだろう。

永井荷風『珊瑚集』

大正2年に出た本で、私の読んだのは、そのうちの訳詩だけ独立させた岩波文庫のもの。

本書については、ネットにおもしろい論文が出ている。著者の佐道さんにはいつもながら教えられるところが多い。


     * * *


わが国の象徴詩の歴史において、本書はどのような役割を果たしたのだろうか。おそらく、その敷居をかなり低くしたのではないかと思う。つまり、ここに集められた、あまり冴えない詩のサンプルをみて、なるほどこれくらいなら自分にも書けるんじゃないか、と当時の詩人志望者たちに勇気を与えたのがこの本ではないかと思うのである。

そしてこれが重要な点だが、ここに集められた詩は、象徴詩風ではあるものの、純粋な見地からはっきり象徴詩であると認められるものが皆無なのだ。象徴という仮面をはがしてみれば、可憐な抒情詩でしかないようなものがことさらに集めてある。それは、どんな凡庸な詩人でも、象徴という道具立てを援用すれば、いちおうは見られる詩が書けるんだよ、という、荷風の無言の激励なのである。

そんなら、つまらない詩が巷にあふれるんじゃないか、という心配が出てくるが、じっさい大正詩壇はつまらない詩のオンパレードである。おびただしい数にのぼるそれらへっぽこ詩集から、その上澄みだけがいくらか残って、今日まで読み継がれている。その筆頭が、萩原朔太郎だ。

そして、もうひとつ重要な点をあげれば、それらつまらない詩がほんとうにつまらないか、というと、いちがいにそうとばかりもいえないのである。象徴詩風をひっぺがしてみたときに、そこにあらわになる大正詩人たちの抒情には、やはり時代からくる品のいい香りが漂っている。

『珊瑚集』は、そういう大正時代における二流詩、三流詩に道を拓いたという点で、やはり画期的な訳詩集といえるのではないか、というのが私の感想だ。


     * * *


本書に収められたレニエの詩「仏蘭西の小都会」のなかに、「疏水の水の音遥に聞え」という詩句がある。荷風はこの疏水にアンクリューズというルビをふっているが、これはおかしい。というのも、フランス語にはアンクリューズなんて言葉はないのだ。レニエの使っているのはエクリューズ(écluse)という字で、ふつうは水門と訳される。水門という無粋な言葉のかわりに疏水という粋な訳語を充てたのは荷風一流の見識だと思うが、それだけにまちがったルビがいまだに正されないままになっているのが残念だ。

阿藤伯海「哀薔薇」

哀薔薇

        林壑久已蕪石道生薔薇


夢に薔薇(サウビ)の癉(ヤ)めるをみたり。

鳥去りて東林白く
澗(タニ)の底、仄かに明けゆけど
夜夜の狭霧に、薔薇は癉みぬ。

木立草立繇(シゲ)れる阿丘(オカ)に
幽かなる径(ミチ)、
径尽きて壑(タニ)も嘿(モダ)せり。
壑の八十陬(ヤソグマ)逗(モ)る光、
風囘(メグ)りて紓(ユルヤ)かに
黝(クロ)く揺げる林の景(カゲ)。
藻草は舞ひて
淪漪(サザナミ)に文(アヤ)を成せど、
澗の水面(ミナモ)に、飛ぶ
青岩魚(アヲイハナ)も見えず。
唯聞くは遠き斧の音(ネ)
その韻(ヒビキ)、丁丁(タウタウ)
古曲の如く
壑を度(ワタ)りて長く揺蕩(タユタ)ふ。

曦(ヒ)も暹(ノボ)りて
熒(カガヤ)くは、叢葉(ムラハ)草びら、
巌陰の黄薔薇(クワウサウビ)
夢に匂へど、力なく
靭(ナヨ)かに顫ふ葩(ハナビラ)に
蒼き吐息を瀉(モラ)したり。

葩に瀉す吐息は、
空に嚮(ムカ)ふ噴水(フキアゲ)の悲歎(ナゲキ)か、
月に咽ぶ夜の調か、将(ハタ)
面羸(オモヤ)せし白衣(ビヤクエ)の聖女(ヒト)の
微かなる祈祷(イノリ)か。

夢に薔薇の癉めるをみたり。

天(ソラ)霽れて雲白く
壑の曲(クマ)、閒(シヅ)かに休(ヤスラ)へど
夜夜の狭霧に、薔薇は癉みぬ。

洞穴めきし山峽(ヤマガヒ)や、
匂へる嫩葉(ワカバ)
しづもる斑葉(イサハ)、
曦は音なく溜(シタタ)りて
松脂の馨もほのか。
澗の辺、幽草(クサ)生(オ)ひ
深樹(フカキ)稠(シゲ)りて、苔碧く
石畳む径を鑰(トザ)せど、
亭午(マヒル)どき
聴かずや、喬(タカ)く山鳥
嚶嚶(アウアウ)として鳴く声を、
こは友生(トモダチ)を嘑(ヨ)ぶなるか。

嵐をふくむ夕映の
垠(キハミ)なき空の濬(フカミ)に
雲沈み、鳥は潜みて
森の奥陳(フ)りし斧の音も絶ゆ。
小暗き闇の夜の門(カド)
薔薇の花に、はためきつつ
輪の如く蛾は廻れり。

霄(ソラ)邃(フカ)し、月蒼し、
巌陰に懊む薔薇は
軽羅(ウスギヌ)の翅(ハネ)うちふるふ
蛾の歎嗟(ナゲカヒ)を察(シ)らず、
また知らず、天明(アケガタ)
壑を襲ふ狂飈(アラシ)を。
あはれ薔薇は癉みぬ。

鬱邑の花よ、
愛執の花よ、
戦慄(オノノ)きてかくは悩める。
げに、忘我の魂は
盲(メシヒ)となり壑を巡りて祷れるを、
雨ふらん、霧ふらん、嵐ふかん禍津時(マガツドキ)に。


幻想の詩人ノヴァーリスが青き花尋めしそのかみの嗟歎をこの小詩に托しぬ。かのブレイクが愁薔薇の象徴を摸したるに非ず。将、グウールモンが薔薇賦の頌声に仿ひたるにも非ず。


     * * *


出典:昭和6年春陽堂刊『明治大正文学全集』第36巻、pp.530 - 532

この詩は、清岡卓行の『詩礼伝家』に全体の3分の2ほどが紹介されているが、誤記もあるので、改めて原本から写してみた。ごらんのように、高踏派のスタイルで書かれた象徴詩である。見慣れない漢字の使用に必然性はあるのか、という疑問が出ると思うが、私はこういう詩の場合、奇妙な漢字表記にも必然性があると考える。

「薔薇は癉みぬ」と書くのと、「薔薇は病みぬ」と書くのとでは、意味は同じでも、ニュアンスに大きな違いが出るのだ。そして、象徴詩においてニュアンスがいかに大切かは、ヴェルレーヌ以来、多くの論者が口をすっぱくして説いている。

同様に、この詩では薔薇は「ばら」ではなく、「さうび(そうび)」と読まれなければならない。

この詩を読んだとき、なんとなく思い浮んだのは、ベルギーの詩人レルベルグの書いた RAYONNEMENTS という詩だ。内容が、ではなくて雰囲気が似ているように思う。いずれにせよ、伯海の創作詩(ほとんどが漢詩)の原点に象徴詩があるのは確かだし、私が彼を日本象徴派へ引きずり込もうとするのにもそれなりの理由のあることが分ってもらえるだろう。

漢詩と象徴詩

漢詩を楽しんでいる日本人はどのくらいいるのだろうか。1パーセントを切っているのは確実だろう。ことによったら、0.1パーセントすら危ういかもしれぬ。

というわけで、あまり人気のない漢詩だが、ときどきこれは、と思うようなのがないわけではない。最近、象徴派の文献を漁っていてたまたま知った阿藤伯海、この明治生れの漢詩人が、私にとって特別な存在になりつつある。

手始めに読んだのは、定金恒次氏の書いた『阿藤伯海の世界』という本だった(岡山文庫 316)。これは評伝というのか、評論的伝記であって、ところどころに伯海の詩が読み下し文つきで紹介されている。誤字脱字が散見するのは除けば、読みやすい良書だといえる。

この本に頻繁に引用されているのが、清岡卓行の『詩礼伝家』という本だ。これは、おそらく伯海について書かれたもののうちでは筆頭に置かれるべきものだろう。

ところで、伯海自身の著作として何があるかといえば、主だったものは一冊しかない。それは『大簡詩草』と題された、漢詩集なのである。没後の1970年に私家版として出されたもので、昔ながらの漢籍の体裁をとり、仮名は一字も使われていない。じつにストイックな、見るからにすっきりした本だ。

この本を開いて、二、三ページづつ目を通してみる。するとふしぎなことに、読めない、むつかしい字が頻出するにもかかわらず、そこになにか一種のポエジーが漂うのにはっきり気づく。

このなんとも定義のしようのない、漠然とした「気分」を醸成しているのは、漢詩という「形式」のなせるわざだろうか。それとも作者の個人的な資質によるものか。いずれにせよ、この本を眺めていると、日本人にとっての漢詩の愉しみとは、訓読して意味をとることよりもむしろ、漢字の視覚的イメージをそのまま静的な絵として味わうことにあるのではないか、という気がしてくる。私はここで、漢詩とは読むものではなく眺めるものだ、という啓示を得た。

もちろん中国人にとっては漢詩は音読すべきもの、場合によっては楽器に合わせて歌うものであって、日本とはまったく事情が異なる。これを逆にいえば、同じ漢詩であっても、読み手が日本人か、中国人かによって、その詩は質的に別のものになってしまうのだ。中国人にとっては聴覚中心、日本人にとっては視覚中心、といったぐあいに。


     * * *


私は象徴詩を理解する一助として、自分でも詩をいくつか作ってみたが、そのとき気づいたことがある。それは、

1.象徴は仮面であること
2.象徴はサブリミナル効果をもたらすこと

このふたつだ。

1.についていえば、象徴詩の作者は、自己の感情や思想をありのままには表現しない。ありのまま、つまり素顔で表現するのではなく、仮面をかぶって表現する。三島由紀夫の本の題名を借りれば、「仮面の告白」ということになる。なんだかずるい、男らしくないやり方だと思われるかもしれないが、仮面をかぶってしかできない告白というものがあるのだ。つまり象徴という仮面をつけることにより、告白から個人性をはぎとって、普遍的なものへと転換するのである。

2.はどうかといえば、象徴詩における言葉は必ずしも明瞭な、一義的な意味をもたなくていいので、むしろそれらが意味の伝達ではなく、呪文のように読み手の潜在意識を直撃する場合にこそ真価を発揮する。語られている事柄ではなく、語りそのもののうちにサブリミナル効果の潜んでいることが、すぐれた象徴詩の指標なのである。

例として適当かどうかわからないが、大手拓次の短い詩をあげておこう。


しろきうを
かさなりて 死せり


     * * *


以上、長々と書いたが、まとめてみると、日本人が漢詩を書くということは、それだけで象徴詩の領域に入りこんでしまうことを意味する。なぜなら漢詩は、

1.ふだんの言葉とはかけ離れた表記を使うこと、つまり仮面をかぶること
2.漢字の視覚的イメージにより意味とは別次元のサブリミナル効果を発揮すること

このふたつの点で、象徴詩に限りなく近づくからだ。

こういう漢詩象徴詩とをつなぐ地点に位置しているのが、私のイメージする阿藤伯海なのである。