象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

永井荷風『珊瑚集』

大正2年に出た本で、私の読んだのは、そのうちの訳詩だけ独立させた岩波文庫のもの。

本書については、ネットにおもしろい論文が出ている。著者の佐道さんにはいつもながら教えられるところが多い。


     * * *


わが国の象徴詩の歴史において、本書はどのような役割を果たしたのだろうか。おそらく、その敷居をかなり低くしたのではないかと思う。つまり、ここに集められた、あまり冴えない詩のサンプルをみて、なるほどこれくらいなら自分にも書けるんじゃないか、と当時の詩人志望者たちに勇気を与えたのがこの本ではないかと思うのである。

そしてこれが重要な点だが、ここに集められた詩は、象徴詩風ではあるものの、純粋な見地からはっきり象徴詩であると認められるものが皆無なのだ。象徴という仮面をはがしてみれば、可憐な抒情詩でしかないようなものがことさらに集めてある。それは、どんな凡庸な詩人でも、象徴という道具立てを援用すれば、いちおうは見られる詩が書けるんだよ、という、荷風の無言の激励なのである。

そんなら、つまらない詩が巷にあふれるんじゃないか、という心配が出てくるが、じっさい大正詩壇はつまらない詩のオンパレードである。おびただしい数にのぼるそれらへっぽこ詩集から、その上澄みだけがいくらか残って、今日まで読み継がれている。その筆頭が、萩原朔太郎だ。

そして、もうひとつ重要な点をあげれば、それらつまらない詩がほんとうにつまらないか、というと、いちがいにそうとばかりもいえないのである。象徴詩風をひっぺがしてみたときに、そこにあらわになる大正詩人たちの抒情には、やはり時代からくる品のいい香りが漂っている。

『珊瑚集』は、そういう大正時代における二流詩、三流詩に道を拓いたという点で、やはり画期的な訳詩集といえるのではないか、というのが私の感想だ。

阿藤伯海「哀薔薇」

哀薔薇

        林壑久已蕪石道生薔薇


夢に薔薇(サウビ)の癉(ヤ)めるをみたり。

鳥去りて東林白く
澗(タニ)の底、仄かに明けゆけど
夜夜の狭霧に、薔薇は癉みぬ。

木立草立繇(シゲ)れる阿丘(オカ)に
幽かなる径(ミチ)、
径尽きて壑(タニ)も嘿(モダ)せり。
壑の八十陬(ヤソグマ)逗(モ)る光、
風囘(メグ)りて紓(ユルヤ)かに
黝(クロ)く揺げる林の景(カゲ)。
藻草は舞ひて
淪漪(サザナミ)に文(アヤ)を成せど、
澗の水面(ミナモ)に、飛ぶ
青岩魚(アヲイハナ)も見えず。
唯聞くは遠き斧の音(ネ)
その韻(ヒビキ)、丁丁(タウタウ)
古曲の如く
壑を度(ワタ)りて長く揺蕩(タユタ)ふ。

曦(ヒ)も暹(ノボ)りて
熒(カガヤ)くは、叢葉(ムラハ)草びら、
巌陰の黄薔薇(クワウサウビ)
夢に匂へど、力なく
靭(ナヨ)かに顫ふ葩(ハナビラ)に
蒼き吐息を瀉(モラ)したり。

葩に瀉す吐息は、
空に嚮(ムカ)ふ噴水(フキアゲ)の悲歎(ナゲキ)か、
月に咽ぶ夜の調か、将(ハタ)
面羸(オモヤ)せし白衣(ビヤクエ)の聖女(ヒト)の
微かなる祈祷(イノリ)か。

夢に薔薇の癉めるをみたり。

天(ソラ)霽れて雲白く
壑の曲(クマ)、閒(シヅ)かに休(ヤスラ)へど
夜夜の狭霧に、薔薇は癉みぬ。

洞穴めきし山峽(ヤマガヒ)や、
匂へる嫩葉(ワカバ)
しづもる斑葉(イサハ)、
曦は音なく溜(シタタ)りて
松脂の馨もほのか。
澗の辺、幽草(クサ)生(オ)ひ
深樹(フカキ)稠(シゲ)りて、苔碧く
石畳む径を鑰(トザ)せど、
亭午(マヒル)どき
聴かずや、喬(タカ)く山鳥
嚶嚶(アウアウ)として鳴く声を、
こは友生(トモダチ)を嘑(ヨ)ぶなるか。

嵐をふくむ夕映の
垠(キハミ)なき空の濬(フカミ)に
雲沈み、鳥は潜みて
森の奥陳(フ)りし斧の音も絶ゆ。
小暗き闇の夜の門(カド)
薔薇の花に、はためきつつ
輪の如く蛾は廻れり。

霄(ソラ)邃(フカ)し、月蒼し、
巌陰に懊む薔薇は
軽羅(ウスギヌ)の翅(ハネ)うちふるふ
蛾の歎嗟(ナゲカヒ)を察(シ)らず、
また知らず、天明(アケガタ)
壑を襲ふ狂飈(アラシ)を。
あはれ薔薇は癉みぬ。

鬱邑の花よ、
愛執の花よ、
戦慄(オノノ)きてかくは悩める。
げに、忘我の魂は
盲(メシヒ)となり壑を巡りて祷れるを、
雨ふらん、霧ふらん、嵐ふかん禍津時(マガツドキ)に。


幻想の詩人ノヴァーリスが青き花尋めしそのかみの嗟歎をこの小詩に托しぬ。かのブレイクが愁薔薇の象徴を摸したるに非ず。将、グウールモンが薔薇賦の頌声に仿ひたるにも非ず。


     * * *


出典:昭和6年春陽堂刊『明治大正文学全集』第36巻、pp.530 - 532

この詩は、清岡卓行の『詩礼伝家』に全体の3分の2ほどが紹介されているが、誤記もあるので、改めて原本から写してみた。ごらんのように、高踏派のスタイルで書かれた象徴詩である。見慣れない漢字の使用に必然性はあるのか、という疑問が出ると思うが、私はこういう詩の場合、奇妙な漢字表記にも必然性があると考える。

「薔薇は癉みぬ」と書くのと、「薔薇は病みぬ」と書くのとでは、意味は同じでも、ニュアンスに大きな違いが出るのだ。そして、象徴詩においてニュアンスがいかに大切かは、ヴェルレーヌ以来、多くの論者が口をすっぱくして説いている。

同様に、この詩では薔薇は「ばら」ではなく、「さうび(そうび)」と読まれなければならない。

この詩を読んだとき、なんとなく思い浮んだのは、ベルギーの詩人レルベルグの書いた RAYONNEMENTS という詩だ。内容が、ではなくて雰囲気が似ているように思う。いずれにせよ、伯海の創作詩(ほとんどが漢詩)の原点に象徴詩があるのは確かだし、私が彼を日本象徴派へ引きずり込もうとするのにもそれなりの理由のあることが分ってもらえるだろう。

漢詩と象徴詩

漢詩を楽しんでいる日本人はどのくらいいるのだろうか。1パーセントを切っているのは確実だろう。ことによったら、0.1パーセントすら危ういかもしれぬ。

というわけで、あまり人気のない漢詩だが、ときどきこれは、と思うようなのがないわけではない。最近、象徴派の文献を漁っていてたまたま知った阿藤伯海、この明治生れの漢詩人が、私にとって特別な存在になりつつある。

手始めに読んだのは、定金恒次氏の書いた『阿藤伯海の世界』という本だった(岡山文庫 316)。これは評伝というのか、評論的伝記であって、ところどころに伯海の詩が読み下し文つきで紹介されている。誤字脱字が散見するのは除けば、読みやすい良書だといえる。

この本に頻繁に引用されているのが、清岡卓行の『詩礼伝家』という本だ。これは、おそらく伯海について書かれたもののうちでは筆頭に置かれるべきものだろう。

ところで、伯海自身の著作として何があるかといえば、主だったものは一冊しかない。それは『大簡詩草』と題された、漢詩集なのである。没後の1970年に私家版として出されたもので、昔ながらの漢籍の体裁をとり、仮名は一字も使われていない。じつにストイックな、見るからにすっきりした本だ。

この本を開いて、二、三ページづつ目を通してみる。するとふしぎなことに、読めない、むつかしい字が頻出するにもかかわらず、そこになにか一種のポエジーが漂うのにはっきり気づく。

このなんとも定義のしようのない、漠然とした「気分」を醸成しているのは、漢詩という「形式」のなせるわざだろうか。それとも作者の個人的な資質によるものか。いずれにせよ、この本を眺めていると、日本人にとっての漢詩の愉しみとは、訓読して意味をとることよりもむしろ、漢字の視覚的イメージをそのまま静的な絵として味わうことにあるのではないか、という気がしてくる。私はここで、漢詩とは読むものではなく眺めるものだ、という啓示を得た。

もちろん中国人にとっては漢詩は音読すべきもの、場合によっては楽器に合わせて歌うものであって、日本とはまったく事情が異なる。これを逆にいえば、同じ漢詩であっても、読み手が日本人か、中国人かによって、その詩は質的に別のものになってしまうのだ。中国人にとっては聴覚中心、日本人にとっては視覚中心、といったぐあいに。


     * * *


私は象徴詩を理解する一助として、自分でも詩をいくつか作ってみたが、そのとき気づいたことがある。それは、

1.象徴は仮面であること
2.象徴はサブリミナル効果をもたらすこと

このふたつだ。

1.についていえば、象徴詩の作者は、自己の感情や思想をありのままには表現しない。ありのまま、つまり素顔で表現するのではなく、仮面をかぶって表現する。三島由紀夫の本の題名を借りれば、「仮面の告白」ということになる。なんだかずるい、男らしくないやり方だと思われるかもしれないが、仮面をかぶってしかできない告白というものがあるのだ。つまり象徴という仮面をつけることにより、告白から個人性をはぎとって、普遍的なものへと転換するのである。

2.はどうかといえば、象徴詩における言葉は必ずしも明瞭な、一義的な意味をもたなくていいので、むしろそれらが意味の伝達ではなく、呪文のように読み手の潜在意識を直撃する場合にこそ真価を発揮する。語られている事柄ではなく、語りそのもののうちにサブリミナル効果の潜んでいることが、すぐれた象徴詩の指標なのである。

例として適当かどうかわからないが、大手拓次の短い詩をあげておこう。


しろきうを
かさなりて 死せり


     * * *


以上、長々と書いたが、まとめてみると、日本人が漢詩を書くということは、それだけで象徴詩の領域に入りこんでしまうことを意味する。なぜなら漢詩は、

1.ふだんの言葉とはかけ離れた表記を使うこと、つまり仮面をかぶること
2.漢字の視覚的イメージにより意味とは別次元のサブリミナル効果を発揮すること

このふたつの点で、象徴詩に限りなく近づくからだ。

こういう漢詩象徴詩とをつなぐ地点に位置しているのが、私のイメージする阿藤伯海なのである。

宇佐美斉『象徴主義の光と影』

関西の研究者たちによる共同研究(1997年、ミネルヴァ書房)。21篇の論文が並んでいるが、私の関心に触れてくるものはほとんどない。というのも、ここで取り上げられている画家や文学者は、象徴派プロパーではなく、その周りを固めている守護神のような人々ばかりなのだ。もっとも、象徴主義の歴史においては、狭義の象徴派よりも、援護射撃に回っている守護神たちのほうが偉いのは確かだ。本書の3ページにも、狭義の象徴派について、「そのごく少数を除いてはもはや今日では再読に耐えないほどの群小詩人ばかりであった」と書かれている。

私としては、その群小詩人たちの右往左往に関心があるんだが……

というわけで、本書はみごとなまでに「象徴派」不在の象徴主義研究書になっている。私が本書から得たものはといえば、ゾラに『夢』と題された小説があって、おもしろそうなことと、フェリックス・フェネオンという人物が象徴派の運動においてけっこうな働きをしたことくらいのものだ。

ここで明らかになるのは、1997年の時点においても、象徴主義に真に関心をもっているフランス文学研究者はほとんどいなかった、という事実である。今ではその数はもっと減っているに違いない。

まあそれはそれでいい。私はといえば、「今日では再読に耐えないほどの群小詩人」たちの墓守になって余生を過ごすつもりだ。


象徴主義の光と影

象徴主義の光と影

象徴派の時代とは

ネットで見られる論文に、次のようなのがある。

日本における象徴主義の概念

これは私には非常に興味深く読めたが、とりわけ最後の「日本に象徴主義は存在したのか」という一節がすばらしい。著者はここで、日本に真に象徴主義的な詩作品が現れたのは、大正に入ってからのことで、その代表的な作者としては山村暮鳥日夏耿之介大手拓次萩原朔太郎宮沢賢治などを数えることができる、と語っているが、これは私が漠然と考えていた日本象徴派のあり方にかなり明確な形を与えてくれるものだ。象徴主義という、どっちかといえば女性的な文学運動が、明治という「ますらをぶり」が幅を利かせていた時代よりも、大正という軟弱な時代のほうに似つかわしいことは、だれでもうすうす感じていることだと思うが、その考えを強力に後押ししてくれる論文に出会えたのは幸いだった。

明治時代を象徴派の準備期、大正時代をその円熟期と捉えてみれば、上にあげた大正期の詩人に立ち混じって活動しているその他もろもろの詩人たちの動向にもそれなりの意味を見出すことができる。いや、詩人だけでなく、小説家も含めた文人と、それから画家や音楽家などの芸術家、そういう人々が織りなすさまざまな運動、つまるところ芸術方面から眺めた大正時代そのものが、広義の象徴派の時代として、われわれの視野に入ってくるのだ。象徴主義の舞台としての大正時代。この観方は私には非常に好ましく思われる。その全域を踏破するのはむつかしいとしても、主だったところは押さえておきたい。

というわけで、明治時代は白秋、露風あたりでひとまず打ち止めにしたいが、その前にいくつか片づけておかねばならないことが残っている。上田敏永井荷風の訳詩の問題がそれだ。しかし、よく考えてみれば、そのあたりのことはさんざん論じつくされているので、いまさら私がなにか付け加えることがあるとも思えない。そこは素通りしてしまってもよさそうだ。素通りすることにしよう。