象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

煙草雑感


今回喫煙を再開してみて気づいたのは、公の場所で煙草を吸えるところがほとんどなくなっていることだ。6年前はこうではなかった。分煙は進んでいたけれどもまだまだ煙草を吸える場所はあった。それが今では……

私の場合、落ち着いて煙草を吸える場所といえば車の中か自宅しかない。そしてそれはそれでいいと思う。以前のように、いつでもどこでも煙草が吸えるというのが異常なのだ。まあ、そのユビキタス性が煙草をここまで普及させた一因であることは否めないが。

車の中や自宅で、人に見られることなく独りでこっそりと愉しむ喫煙、それはいうまでもなく delectatio morosa である。そしてこのラテン語が「そこばくの快楽」と訳されることからもわかるように、それは限りなく自慰行為に近づいていく。

そういう隠微なところから、いわば喫煙の頽廃的方面を探っていくと、私の記憶に浮んでくるのが「阿片窟」という言葉だ。子供のころ、シャーロック・ホームズの物語を読んだときに、この言葉が出てきて*1、一種異様な秘密めいた気持を味わった。原語では opium den というらしいが、「阿片窟」もしくは「opium den」で画像検索してみると、頽廃の極みのような画像がいっぱい出てくる。それは私には清朝末期のデカダンスを象徴的に表したもののように思われる。



これら阿片吸飲者たちの画像を見ていると、またしても私の記憶に浮んでくるのが、14世紀のデカダンス音楽といわれるアルス・スブティリオルの一曲「くすぶった男が(Fumeux fume)」である。作者はソラージュという人で、歌詞は細川哲士氏の訳によれば、


くすぶった男がくゆらせている、煙で煙った思案を。
他の者もその思いをくゆらせるがいい、くすぶった男がくゆらせている。
くすぶらせるのが男には楽しいからだ、そうしようと思っている限りは。
くすぶった男がくゆらせている、煙で煙った思案を。


コロンブス以前の14世紀という時代にすでに煙(阿片?)の吸飲が行われ、また精緻なポリフォニー音楽を生み出していたヨーロッパの文化的な高さには驚きを禁じえない。この曲はいろんな奏者が演奏しているが、個人的には最初に聴いたウエルガス・アンサンブルのものがいちばん気に入っている。



私も象徴派の端くれとして、喫煙を通じてこういう頽廃の系譜にみずからを位置づけたい、という気持を抑えることができずにいる。

*1:たぶん「アヘンくつ」表記で