象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

「闇芝居」的なるもの

動画サイトで「闇芝居」の全話をループライブ配信するらしい。なんたる快挙! なんたる椀飯振舞! これはぜひ見ねば。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001830.000002734.html

いつごろからか、この4分ほどのアニメの魅力に取りつかれて、たいていのものは見たような気がするが、もちろん忘れてしまったものもけっこうある。そういうものも含めて、全話を一挙に鑑賞できる機会なんてそうあるものではない。お盆にこういう企画をやるのも、タイムリーでいいと思う。

ところで、私がこの紙芝居仕立ての短篇アニメに惹かれる理由として、ずばりその象徴主義的手法をあげてもいいのだが、あまりくだくだしいことは書きたくないので、ここでは100年前の象徴派プロパーから、闇芝居テイストの作品をいくつか選び出して、感想めいたことを書いてみたい。

まず第一は、シャルル・ヴァン・レルベルグの「嗅ぎつける者」という芝居。短いもので、副題には「象徴」とある。登場人物は母娘ふたりと、姿の見えない男(3人?)の声のみ。嵐の晩、病身の母をもつ娘のあばら家に、三人の男が次々と現れて、入れてくれという。一人目は水をもってくる。二人目は経帷子をもってくる。三人目は棺桶をもってくる。娘は男を入れまいと必死で抵抗するが、鐘が真夜中を打つとともに扉が破れて砕け散るところで幕。

これとよく似たテイストのもので、同時期に発表されたのが、メーテルリンクの「闖入者」という芝居だ。これもまた何者かがうちの中に闖入してくるお話。盲目の老人にはその闖入者が感じられるけれども、他の家族にはそれがわからない。そして、時計が真夜中を告げるとともに、病身の妻が死ぬところで幕。

それから、イェーツの小さい芝居がある。松村みね子が訳した「カスリイン・ニ・フウリハン」「心のゆくところ」「鷹の井戸」など。これらには、愛と死と運命に翻弄される人々が描かれているけれども、それがたんなるリアリズムや教訓に終らず、伝説のような雰囲気のなかで展開されるのがじつにここちよい。リリカルな闇芝居といったところ。

まあだいたいこんなところが思いつくが、芝居のみならず短篇をも考慮に入れると、闇芝居的なテイストのものはそれこそ無数に見つかるだろう。なんといっても象徴派の時代(1890年代)はコントの黄金時代でもあるのだから。

そういうものに思いを馳せながら、お盆の四日間、ゆるゆると動画サイトで楽しもうと思っている。