象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

ニコチン姫とパイプ嬢


最近ちょっとしたことから5年間の禁煙を打ち切って喫煙者に復帰した。といっても、シガレットに戻るつもりはなく、パイプと手巻き限定だが。

シガレットは、よくいわれているように添加物満載で、これが重度の依存症を齎すようなのだ。それは私も身に沁みて知っている。なにしろ朝起きたらいきなりタバコが吸いたくなっている、というのが常態なのだから。

添加物のないニコチンはそれほどの依存症は齎さない。これまた私が身に沁みて知った事実だ。ここひと月ほどパイプと手巻きとを喫っているが、いわゆるニコチン切れを起したことは一度もない。

手巻きはだれでも手軽に楽しめるので、とくに何も語ることはない。問題はパイプだ。これがなかなか一筋縄ではいかないしろものなのである。

かつてはパイプ喫煙に関する書籍があった。今でも出ているのかもしれないが、あまり見かけることはない。それよりネットでの情報が充実していて、最近では明らかにこっちが主流だろう。私も今回パイプを再開するにあたって、動画を含むネット情報を大いに利用させてもらった。

しかし、客観的にみれば、そういった情報を発信している人々、つまりパイプ党のめんめんが、揃いも揃って変人なのである。実生活ではあまりお近づきになりたくないような人ばかりだ。なぜそうなるのかといえば、パイプの世界がいわゆる「こだわり」から成り立っているせいだろう。パイプにこだわり、タバコ葉にこだわり、喫い方にこだわる、そういった姿勢が人をして変人たらしめるのだ。

もっとも、そういう「こだわり」を一切排してしまうと、パイプの世界が成立しなくなるので、パイプと変人とは持ちつ持たれつの関係にあるといってよい。私もそんな変人の端くれとして、自分なりの喫煙法を開陳してみよう。



私の喫煙法といっても、技術的にはごくオーソドックスで、とりたてて特色があるわけではない。パイプにタバコを詰めていったん火を着けたら、あとはパイプとタバコ葉と自分との三者が織りなす宙ぶらりんの時間に身を任せて、その一瞬一瞬に「永遠」を看取するのみ。紙巻や葉巻と違ってパイプには長さというものがないので、時間の流れを視覚的に感じ取ることが困難だ。それを逆手にとって、いわば無時間のなかに己を解き放つのが正統的なパイプ喫煙ではないかと思う。

喫煙にあたってのこだわりというものがあるとすれば、着火にライターではなくマッチを使うことくらいだ。ライターというものの機能性がパイプには合わないような気がするのだが、どうか。

まあこういった感じで、ニコチン姫、パイプ嬢、手巻き姐さんを相手に秘密の快楽に耽っている、というのが私の近況だ。