象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

悪魔とオナニズム


1996年から1997年にかけて開催された「ベルギー象徴主義の巨匠展」の図録を眺めていたら、フェリシアン・ロップスにかなりのページが割かれているのに気がついた。

ロップスは、日本でもまとまった画集が出ているくらいで、わりあい人気がある画家だと思うが、私はあまり好きではなかった。なんというか、かれの絵はどれもひどく汚らしく見えるのだ。もし彼の絵に美があるとしても、それは「醜の美学」に支配されたものだろう。『マクベス』の魔女のセリフにあるような、「美に醜を、醜に美を」見出す倒錯的な感性にのみ、かれの絵は訴えかけるものをもっているといえる。

さて、本図録に収められた『悪魔』と題された連作のなかに、「怪物を生む悪魔」というのがあって、翼を拡げたサタンの足元に、なにやら液体のようなものが飛び散っている。絵が小さくてよくわからないので、ネットで画像検索してみたら、それは悪魔の精液で、怪物の創造はオナニーによるものであることがわかった。



この絵にはご丁寧にもサタンの陰茎や陰嚢まで描いてあるが、ダンテの『神曲』によれば、サタンの陰部は地球の中心であり、いわばアクシス・ムンディ(世界軸)なのである。悪の枢軸たるサタンの王国から怪物が生み出されるとすれば、その大元はたしかにサタンの陰部には違いなかろう。

というわけで、思わず吹き出してしまうような、こういうコミカルな絵も描いているロップスという画家に、ほんの少しだけだが、親近感を抱くようになった。

佐藤伸宏『日本近代象徴詩の研究』


これはすばらしい本だ。おかげさまで私にも日本象徴詩の流れがなんとなく理解できた。400ページに近い本だが、一読の、いや再読三読の価値はじゅうぶんある(2005年、翰林書房)。

私の理解したかぎりでの、その流れは、下記のごときもの。


新体詩抄(近代詩の濫觴
  ↓
形想論争
  ↓
北村透谷の詩、ことに評論
  ↓
上田敏の訳詩と評論
  ↓
蒲原有明の詩、ことに『有明集』
  ↓
自然主義陣営からの攻撃
  ↓
北原白秋、ことに『邪宗門
  ↓
三木露風、ことに『白き手の猟人』
  ↓
大正詩壇へ


この流れで決定的なのは、やはり上田敏の訳詩集『海潮音』だ。私は敏の象徴主義理解をどうも甘く見ていたようで、彼は彼なりに、フランス象徴主義の神髄ともいうべきものを日本に移植するにあたって、かなり事の本質を鋭く把握していたようなのだ。そのことは佐藤先生に教えられて、はじめて知った。

有明集』刊行までの、日本の象徴詩の流れは、ときとして横槍が入ることもあったが、おおむね順当なもので、だからこそ『有明集』という名詩集が、月満ちて安らかに生み出されたのだが、そのあとがいけなかった。この詩集は当時の自然派から、徹底的な批判を下されたのである。その結果、有明は詩が書けなくなり、彼の後を襲った詩人たちも、多かれ少なかれ軌道修正を余儀なくされた。

いずれにしても、自然派が横槍を入れたことにより、日本の象徴主義は本来の道から逸れ、独自の道を歩むことになった。ここに象徴主義の、日本的歪曲の源があったのだ。

というわけで、未知のことを多く教えられる良書なのだが、ひとつだけ、どうにもならないことを書いておくと、佐藤先生が高く評価する蒲原有明、そして彼の象徴詩の最高の達成と折り紙をつけられた『有明集』が、どうも私にはおもしろく感じられないのだ。これはたんに嗜好の問題であり、最高の美味とされるものも、私の低級な舌には合わなかった、というだけのことかもしれない。

そういう私にとって、明治末の自然派の徒輩が、よってたかって『有明集』を袋叩きにして葬り去ったことは、有明的なものを詩壇から一掃したという意味では、むしろ快挙とも映るのである。

あと余談だが、私が子供のころの教科書に載っていた詩の定義、「感動を簡潔な言葉で表したもの」というのは、元をたどれば明治末の自然派にまで遡るものであることをこの本で知った。かれらの主張は、小学生が書く詩のレベルでは、こんにちに至るまで、その有効性を失っていない。


マラルメの新訳と旧訳、つけたり戯訳


岩波文庫の新しいマラルメ詩集。すごい労作だとは思うし、これを出した岩波書店はさすがというべきだが、どうもこれを読んでいると、自分は今までマラルメを過大評価していたのでは? という気になってくる。

それはともかくとして、トルストイの芸術論以来、マラルメ後期のソネットではいちばん有名な「泡」の新訳を下に引用する。


圧し懸かる 密雲の下 声押し殺したる
玄武岩 溶岩の 暗礁には はや
隷属の 木霊を返す 力とてなく
用もなき 霧笛の 虚しい声さえも

いかようなる 墓 遭難が (お前は
知りつつも 水泡よ そこに泡立ち)
至高なる 唯一の 漂流物のなかに
廃絶したのか 帆布も失せた マストを

それともこうか 猛り狂って 何か
崇高なる 遭難が ないからと
深淵の限りを 虚しく 押し広げては

かくも白い髪の毛の 水泡引く
容赦もない そこに 溺れさせたのか
人魚の一人 その 幼い腹を

渡辺守章訳)


これを読んで思い出したのは、マラルメ翻訳のうちでも初期も初期、大正2年に岩野泡鳴が出した同じ詩の翻訳である。このようなもの。


痛ましき 裸形 もて、汝、
黒大理 溶岩 を 出で、
角笛 に 奴僕の 樹魂、
徳 なくて ただ 響き のみ。

空洞の 破船 かや (汝、
泡よ、そを 知れど 泡立つ)
最果の 一破滅物、
抜かれたる 帆柱 を 去る。

あるは、これ、憤怒の 落ち度、
いや高き ほろびの 影の
空しく や 淵と なりけん。

曳く髪 の 白きが 中に、
飽く までも 溺れ行きけん、
海妖の 胎内 の 児は。

(岩野泡鳴訳)


解釈は異なるものの、調子という点では両者はよく似ていないだろうか。紆余曲折を経て、マラルメの訳詩は百年前に回帰したということか、それとも岩野泡鳴に先見の明がありすぎたのだろうか?



     * * *


あとおまけだが、このマラルメソネットは、だいぶ前に、エロ的見地から解釈したものを、ポルノグラフィック版と銘打って、某所にアップしたことがある。あまりのバカバカしさに、その後削除したが、いまごろになってそれを思い出して、削除したことをちょっと後悔した。

まあ、なくなったものはしかたがないので、もう一度訳しなおしてみた。昔の訳のほうが、いっそう piquant だったように思うが、あまり下品なことはもう書きたくないので、やんわりとぼかした部分もある。

参考までに原文をあげておく。そう無茶な解釈はしていないと思うが、どうか。


À la nue accablante tu
Basse de basalte et de laves
À même les échos esclaves
Par une trompe sans vertu

Quel sépulcral naufrage (tu
Le sais, écume, mais y baves)
Suprême une entre les épaves
Abolit le mât dévêtu

Ou cela que furibond faute
De quelque perdition haute
Tout l'abîme vain éployé

Dans le si blanc cheveu qui traîne
Avarement aura noyé
Le flanc enfant d'une sirène


のしかかってくる裸の女に、一言も応えない
あなたの下半身は玄武岩か溶岩でできているの?
その隷属下の反応にすら応えない、
その力なくだらりと垂れ下ったお道具ではね。

どんな墓場じみた不能のうちに(あなたも
そのことは知っている、泡みたいなものしか吐き出せない)
がらくたのなかでもいちばんのしろもの、
むきだしの棹を捨て去ってしまうの?

それとも、その程度のものしか
失うものがないことに激怒して
無駄に押し広げられた虚無の深みが、

まっしろなざんばら髪のうちに
人魚の子供のような脇腹を
ねちねちと浸すとでもいうの?

象徴詩の十字路に立って


象徴詩の世界をひとつの都市に見立てた場合、私の現在いる場所は、その中心からだいぶ離れたとある十字路だ。そこから東を見ると、リヒャルト・デーメルがいる。西を見ると、シャルル・ヴァン・レルベルグがいる。南には大手拓次がいる。北には日夏耿之介がいる。この四人が、わが象徴詩界を守護する四天王なのである。

かれらの生没年を記せば、

レルベルグ 1861 - 1907
デーメル 1863 - 1920
拓次 1887 - 1934
耿之介 1890 - 1971

このうち、レルベルグとデーメルとは、厨川白村の紹介で知った。ただし、レルベルグが私にとって大切な詩人になったのは、ユベール・ジュアンというベルギー人の書いたフェルナン・クノップフ論を読んでからだ。ジュアンは、クノップフの絵に対応するような詩を、レルベルグのなかに見出している。それと、レルベルグガブリエル・フォーレの歌曲集『閉ざされた庭』と『イヴの歌』に歌詞を提供したのは大きい。レルベルグのこのような、文学、美術、音楽の各分野を横断するようなあり方は、世紀末の象徴派のなかでも異彩を放っている。同じことは、ある程度までデーメルについてもいえるだろう。

耿之介と拓次とでは、拓次のほうが年下のような気がしていたが、じっさいは彼のほうが三歳年上だった。耿之介は拓次については一切言及していない。が、認めていなかったわけではなさそうだ。いっぽう拓次のほうは、耿之介の詩を「十八世紀の情緒」と一蹴している。

かれらが互いにどう評価し合っていたかは、いまとなってはどうでもいい。かれらは二人とも、同じ時代の雰囲気のなかで、詩以外では表現できないものを書いた。私にはそれでじゅうぶんだ。

というわけで、この十字路は私にとって非常に見晴しがいいいのだが、ほかの人にはどうだろうか。

窪田般彌『詩と象徴』


1977年に刊行されたもの(白水社)。

本書で扱われているのは、「広い意味での象徴主義的風土に生きた文学者」たちである。広義の象徴派といってもいいだろう。

まず蒲原有明。この人の『有明集』は最低限読んでおかないと、日本の象徴主義について語ることはできない。というわけで、目下精読中だが、どうも有明さん、雰囲気がどよーんと暗いんですよね。そこへいくと、当時並び称せられたという、薄田泣菫は明るい。どっちが好きかといわれれば泣菫だが、しかし泣菫の詩は象徴詩と呼ぶにはちょっと無理がある。

次は岩野泡鳴。この人は評論や翻訳で、当時(明治40年ごろ)の象徴詩熱を煽りに煽ったらしい。生れながらの煽動家であり、その影響は昭和の小林秀雄中原中也河上徹太郎にまで及んでいる。

次は大手拓次。窪田氏のエッセイには、原子朗氏の『大手拓次研究』という本が大きな影を落しているが、これは文句なしにすばらしい本だ。もう一度読み返してみたい一冊。

次は永井荷風荷風アンリ・ド・レニエとは、顔つきがなんとなく似ている。どっちもあまり好きな顔ではない。しかし、顔が嫌いだから読まないというのはあんまりなので、窪田氏の訳した『生きている過去』や『ヴェネツィア風物誌』あたりから手をつけてみよう。

次は萩原朔太郎。朔太郎は詩だけでなく、詩論もかなり書いている。読むべし。

日夏耿之介はとばして、次は中原中也。詩人としての中也にはあまり関心がもてないが、彼の訳したランボーを最近読んで、ひどく感心した。彼の手にかかると、ランボーがれっきとした象徴詩人にみえてくる。これは一種の魔術だ。

次は富永太郎小林秀雄。どっちも、いまの私にはどうでもいい存在だ。かれらはたぶん広義の象徴派からも離れている。

次は森有正。この人も象徴派とは無縁だが、リルケを介することで、遡行的に象徴派に結びつけることは可能だろう。とはいっても、そんなこととは関係なく、森有正は私にとって大切な思想家であり、文学者だ。

金子光晴安西冬衛、吉田一穂、このあたりはなんとなく私にも親しめそうだが、つづく西脇順三郎瀧口修造がいけない。象徴派の未来形だか何だか知らないが、ここまでくるともう私の読解能力を超えている。ひとは語りえぬものについては沈黙せねばならぬ。理解しえぬものについても同断であろう。

本書の末尾に並んだ三つのエッセイは、訳詩をテーマにしている。つまり、『新体詩抄』と、上田敏の『牧羊神』、それに鴎外の『於母影』など。日本の詩は、もとはといえば訳詩から始まっているので、そういったものを見直すことは、つねにすでに必要なのである。温故知新のつもりで、再顧すべし。