象徴派の周囲

象徴派に関する雑記、メモ、翻訳、引用など

ピエール=ルイ・マチウ『象徴派世代 1870 - 1910』


翻訳者としての窪田般弥の力量はかなりのものだと思うが、本書の訳はちょっと甘いし、索引などを見てもどうもあまり使い心地がよくない。絵画史的なことを除けば、読者が知りたいのは個々の作品の原題とその訳なので、本書のように原題を故意に(?)伏せてあるのは困るのだ。アンドレ・ブルトンを驚倒させたというモローの絵が何であるのか、本書を読むだけではよくわからず、ネットで調べてようやくそれが Fée aux griffons という作品だと判明する、というような場合が少なくないのである。

さて、この手の本を編む場合に問題になってくるのが、ゴーギャンを象徴派と見なすかどうか、という点だ。絵画史的にいえば、見なすかどうかどころでなく、ゴーギャンこそがフランスの正統的な象徴派の代表ということになる。なによりも、アルベール・オーリエの1891年の画期的論文「絵画における象徴主義」であげつらわれているのは、モローでもルドンでもピュヴィス・ド・シャヴァンヌでもなく、ゴーギャンその人なのである。

そこで、ポン=タヴァン派とかナビ派とかいわれる人々が象徴派の圏内に入ってくることになる。しかし、かれらははたして真正の象徴派だろうか。かれらと比べたとき、フランス以外の国々、たとえばベルギーやドイツ、ロシアや北欧の同時代の絵のほうに、より本来的な象徴主義が見出されるように思うのは、はたして私の僻目だろうか。

もし象徴主義が、本場であるフランスを差し置いて、その周辺的な国々でいっそう栄えたというのが事実だとすれば、それは象徴主義の非フランス性を物語るものだといえる。象徴主義はその本質においてフランス的ではないのだ。万物照応の理論にスウェーデンボリが影を落とし、音楽においてはワーグナーの決定的な影響を被り、先駆者として英国のラファエル前派を仰いだという点で、象徴主義はつねに北方的なものを志向していたのである。

北方的な要素をまったくもたず、逆に南国的なものを志向したゴーギャンが象徴派に見えないのは、やはりそれなりの理由があったとみなすべきだろう。