象徴派の周囲

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ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙 他十篇』


私としては、長いことドイツ語で親しんできた「道と出会い」以降の三篇を、日本語でもっと正確に理解したい、と思って買った本だが、最初から順を追って読んでみて、ホフマンスタールという不世出の天才がいかに自分と気質的に共鳴するタイプの作家であるかがよくわかった。まず冒頭の二篇にがっちりと心をつかまれる。私はここに、自分の夜ごとの夢に繰り返しあらわれる状況が、ほとんどそのまま、自分で書くよりたくみな筆致で描かれているのに驚いた。この二篇は夢の、さらにいえば悪夢の形象化なのである。

つづく「バッソンピエール元帥の体験」もまた夢の物語ということができる。バッソンピエールの『自伝』から数えると、「三度語られた物語(thrice told tale)」である本作は、原作のリアリズムからゲーテフォークロアを通過しながら、はっきりと夢の領域に舞台を移し替えている。十七世紀の道楽者のメモ書きが、世紀末的な夢の雰囲気をまとって、妖しいまでに艶やかな芸術へと昇華しているのだ。

この三篇をもって、私はホフマンスタールを象徴派のひとりとみなしたい。彼は世代的にいえば象徴派の世代のひとつ後になるが、その早熟さゆえに象徴派時代の末期にかろうじてひっかかっている。

それから「チャンドス卿の手紙」がくる。この「手紙」をもってホフマンスタール象徴主義から写実主義へと転向する。写実主義といっても、ふつうの意味のそれではなく、心霊的写実主義というか、むしろ原語をそのままとって、リアル至上主義といったほうがわかりやすいかもしれない。象徴からリアルへの道というので、ゆくりなくも三島由紀夫を思い出した。位相は違うが、両者ともに象牙の塔を去って「したたかな手ごたえ」を人生に求めたという点で、似たような軌跡を描いているように思われる。

対話篇「詩についての対話」などをみると、ホフマンスタール象徴主義というものを正しく理解していたことがよくわかる。彼によれば、象徴とはなにかの言い換えなどではなく、それ自体が原初的な体験を反映したものなのだ。だから、彼は象徴主義から写実主義へ移ったというより、象徴主義を深化させることにより、その反対側へ抜け出ただけなのかもしれない。

まあ、いずれにしても興味深い本だった。ホフマンスタールは引きつづき他の作品も読んでいきたい。